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大分地方裁判所 昭和41年(行ウ)8号 判決 1980年3月26日

大分市長浜町三丁目六-三

原告

葛城啓三

右訴訟代理人弁護士

臼杵勉

内田健

大分市中島西一丁目一-三二

被告

大分税務署長

奈良崎駒夫

右指定代理人

武田正彦

石川公博

檀掛親男

岩本嘉昭

坂本克郎

大田幸助

井寺洪太

主文

一、被告が昭和四〇年一〇月七日付きで原告の昭和三九年度分所得税についてした更正処分(熊本国税局長が昭和四一年六月三〇日付でした裁決により取消された部分を除く。)のうち課税総所得金額一〇四六万五六六一円を超える部分を取消す。

二、原告のその余の請求を棄却する。

三、訴訟費用はこれを二分し、その一を原告の、その余を被告の負担とする。

事実

第一、当事者の求めた裁判

一、原告

1、被告が昭和四〇年一〇月七日付で原告の昭和三九年度分所得税についてした更正処分のうち、熊本国税局長が昭和四一年六月三〇日付でした裁決により取消された部分を除くその余の部分を取消す。

2、訴訟費用は被告の負担とする。

二、被告

1、原告の請求を棄却する。

2、訴訟費用は原告の負担とする。

第二、当事者の主張

一、原告の請求原因

原告は、原告の昭和三九年度分所得税について、昭和四〇年三月一四日被告に対し、総所得金額を五九〇万七四〇七円とする確定申告書を提出し、同年五月二二日総所得金額を六三七万〇九〇七円とする修正申告書を提出したが、被告は同年一〇月七日、総所得金額を一四七一万二三四四円とする更正処分をした(以下、右更正処分を本件更正処分という。)。そこで、原告は、同年一一月六日本件更正処分に対し異議申立をしたところ、被告は、昭和四一年一月一一日付で右異議申立を棄却したので、原告は、同年二月九日熊本国税局長に対し審査請求をしたところ、同局長は、同年六月三〇日付で本件更正処分の一部を取消し、総所得金額を一三二七万四六四四円とする旨の裁決をし、右裁決は、同年七月七日原告に到達した。

しかし、右裁決によって取消された部分を除いても、被告のなした本件更正処分には、原告の所得を過大に認定した違法がある。よって、原告は、被告に対し、本件更正処分のうち右取消された部分を除くその余の部分の取消を求める。

二、請求原因に対する被告の答弁

請求原因事実中、課税の経緯に関する事実は認める。

三、被告の主張

別紙第一「被告の主張」のとおり。

四、被告の主張に対する原告の答弁と主張

別紙第二「原告の主張」のとおり。

第三、証拠

一、原告

1、 甲第一、二号証の各一ないし四、第三号証の一ないし三、第四号証、第五号証の一ないし二三 第五号証の二の一ないし二〇、第六号証の一ないし八、第七ないし一一号証、第一二号証の一・二、第一三号証の一・二の各一ないし四、第一三号証の三の一・二、第一三号証の四の一ないし一〇、第一三号証の五、第一三号証の六の一・二、第一三号の七の一ないし一一、第一三号証の八の一ないし三〇、第一四号証の一ないし四、第一五号証の一ないし一一、第一六ないし二四号証、第二五号証の一ないし四、第二六ないし三九号証、第四〇号証の一ないし六、第四一号証の一ないし五、第四二、四三号証。

2、 証人吉岡俊雄、大橋智、手島康弘、牧東、葛城浩三、戸田俊三

原告本人(第一、二回)

3(一)  成立を認める乙号証

後記(二)ないし(六)以外の乙号証

(二)  成立を不知の乙号証

乙第六号証の一、第二二号証の一・二、第三二号証の一ないし一一、第三三ないし三五証、第三七号証、第三九ないし四二号証、第四三号証の一ないし三、第四四号証の一・二、第四五ないし四九号証、第五二号証(ただし、大字池原字向原一八三七番地付近の随面であることは認める。)、第五三号証の斜線部分、第五四・五五号証、第五六号証の一・二、第五七号証、第六七・六八号証、第七四ないし七六証、第七九ないし八五号証、第八七号証、第八九・九〇号証、第九七号証、第九八号証の八、第九九号証の一ないし三、第一〇〇号証の一ないし六、第一〇一号証の一ないし四、第一〇二号証の一・二、第一〇四・一〇五号証、第一〇六号証の一ないし八、第一〇七号証の一ないし七、第一〇九号証、第一一一号証の一ないし五、第一一三号証の一ないし三、第一一四号証の一ないし一一、第一一七号証の一二、第一一八号証の一・二、第一一九号証の一ないし三、第一二〇号証ないし一ないし一〇。

(三)  原本の存在、成立とも認める乙号証

乙第七ないし九号証、第一一号証、第一三号証の二、第一八号証の一、第二四号証の一・二

(四)  原本の存在、成立とも不知の号証

乙第一六号証、第一七号証の一・二、第一八号証の二、第二五・二六号証の各一・二、、第二七号証、第二八・二九号証の各一・二

(五)  成立を否認する乙号証

乙第六号証の二、第一二号証、第一三号証の一(原本の存在とも)、第一四号証の一・二、第一五証、第一九号証(ただし、大久保一二三名下の印影が同人の印章によって顕出されたものであることは認める。)、第二三号証。

(六)  写真の認否

乙第九八号証の一ないし七が被告主張のような写真であることは認める。第五一証の一ないし四、第八六号証の一ないし四、第八八号証の一・二が被告主張のような写真であることは不知。

二、被告

1、乙第一ないし五号証、第六号証の一・二、第七ないし一二号証、第一三・一四号証の各一・二、第一五・一六証、第一七・一八号証の各一・二、第一九・二〇号証、第二一・二二号証の各一・二、第二三号証、第二四ないし二六号証の各一・二、第二七号証、第二八・二九号証の各一・二、第三〇号証の一ないし三、第三一号証の一・二、第三二号証の一ないし一〇、第三三ないし三七号証、第三八号証の一ないし二、第三九ないし四二号証、第四三号証の一ないし三、第四四号証の一・二、第四五ないし四九号証、第五〇号証の一・二、第五一号証の一ないし四、第五二ないし五五号証、第五六号証の一・二、第五七号証、第五八号証の一・二、第五九号証の一ないし三、第六〇号証、第六一号証の一ないし六、第六二号証の一ないし四、第六三号証の一ないし三、第六四・六五号証の各一ないし三、第六七ないし八五号証、第八六号証の一ないし四、第八七号証、第八八号証の一・二、第八九ないし九一号証、第九二ないし九四号証の各一・二、第九五ないし九七号証、第九八号証の一ないし八、第九九号証の一ないし三、第一〇〇号証の一ないし六、第一〇一号証の一ないし四、第一〇二号証の一・二、第一〇三号証の一ないし四、第一〇四・第一〇五号証、第一〇六号証の一ないし八、第一〇七号証の一ないし七、第一〇八号証の一ないし三、第一〇九・一一〇号証、第一一一号証の一ないし五、第一一二号証の一・二、第一一三号証の一ないし八、第一一四号証の一ないし一一、第一一五・一一六号証、第一一七号証の一ないし一二、第一一八号証の一・二、第一一九号証の一ないし三、第一二〇号証の一ないし一〇、第一二一号証の一・二、第一二二号証の一ないし三、第一二三・一二四号証の各一・二、第一二五号証、第一二六号証の一ないし三、第一二七号証の一ないし六(第七ないし九号証、第一一号証、第一三号証の一 ・二、第一六号証、第一七・一八号証の各一・二、第二四ないし二六号証の各一・二、第二七号証、第二八・二九号証の各一・二は写を提出。第五二号証は大字小池原字向原一八三七番地付付近の図面。第五一号証の一ないし四は昭和四〇年八月一〇日撮影の同所付近の写真。第八六号証の一ないし四は昭和四五年三月二六日撮影の同所同番一五付近の写真。第八八号証の一・二は同年同月二七日撮影の大字猪野字黒野地一六八一番四土地等の写真。第九八号証の一ないし七は同年六月二三日撮影の大字大分下井東四三二八番一土地等の写真。)

2、証人小田部検、藤巻春子、岩元靖、緒方茂三

3(一)  成立を認める甲号証

甲第一・二号証の各一ないし四、第三号証の一ないし三、第四号証、第五号証の一の一、第五号証の一の三ないし五、第五号証の一の七、第五号証の一の九、第五号証の一の一二ないし一四、第五号証の一の一六ないし二一、第五号証の二の一九、第六号証の八、第七ないし一〇号証、第一三号証の一・二の各一ないし四、第一三号証の四の一ないし八、第一三号証の四の一〇、第一三号証の五、第一三号証の六の一・二、第一三号証の七の一ないし一一、第一四号証の一、第一五号証の一・二、第一五号証の四ないし八、第一五号証の一一、第一八ないし二〇号証、第二三・二四号証、第二六・二七号証、第二九ないし三三号証、第三六ないし三三号証、第三六ないし三九号証、第四三号証。

(二)  成立不知の甲号証

(一)以外の甲号証

理由

第一、課税の経緯に関する請求原因事実は、当事者間に争いがない。

第二、別紙第一「被告の主張」添付別表三(以下被告別表三という。)番号欄(1)ないし(4)記載の取引による所得の種類について。

一、原告が、昭和三九年三月三一日日本専売公社に対し被告別表三番号欄(1)ないし(3)記載の各土地を代金合計二〇〇二万一〇〇〇円で売渡したこと及び原告が同年六月二日山西マサヱに対し被告別表三番号欄(4)記載の土地を代金五四〇万八〇〇〇円で売渡したことは、当事者間に争いがない。

二、被告は、右各取引による所得は、昭和四〇年法律第三三号による改正前の所得税法(以下旧所得税法という。)九条一項四号の事業所得に該当すると主張するのに対し、原告は、同条同項八号の譲渡所得に該当すると主張するので検討する。

旧所得税法上、不動産を含む資産の譲渡によって得られた所得のうち、営利を目的とする継続的な行為による所得は、譲渡所得から除外され、これが事業によって得られた所得である場合にはさらに雑所得と区別され、事業所得として課税されることとされているが、このような分類は、経済的利益の追求を目的として計画的継続的になされる譲渡による所得は、一時的臨時的所得と性格を異にするので、課税上もこれを区分して扱うのが合理的であるところに由来するものである。したがって、ある土地の譲渡による所得か事業所得に該当するか否かは、当該譲渡資産の取得、保有、譲渡の状況及び譲渡人の既往の土地等の取引の具体的内容、方法等の諸事情を検討し、当該譲渡が前記のような営利目的のもとに計画的継続的な活動の一環としてなされたものであるかどうかによって判断されるべき事柄であるとともに、そのような継続的行為が、社会通念上事業活動に該当すると認められる場合には、当該譲渡による所得は事業所得に該当することになるのである。そして、このような観点から検討すると、以下にみるとおり、前記各土地売却による所得は、営利を目的とする継続的行為によって生じた所得と認めることができ、かつ、原告は、右各土地の譲渡がなされた昭和三九年以前から社会通念上事業活動と認められる形態で不動産の売買行為をなし、右各土地も右不動産の一環として販売したものであると認めることができるから、右各土地の譲渡によって得られた所得は、事業所得に該当するというべきである。

1、前記争いのない事実と、成立に争いのない甲第二号証の一ないし四、第一八号証、乙第一一号証、第一一五・一一六号証、証人緒方茂三の証言により真正に成立したものと認められる乙第一〇五証、第一〇六号証の一ないし八、証人小田部倹の証言、原告本人尋問の結果(第一・二回)によれば、原告は、被告別表三番号欄(1)ないし(4)記載の土地を取得した前後において、

(1) 昭和三六年一月一七日吉元又六(登記簿上の所有者名義人は別人)から別府市南石垣大塚一二六五番一田二七〇・五〇坪(当時。以下同じ。)を買受け、

(2) 同年二月一日西村重則(登記簿上の所有名義人は別人)から同市大字同字浜田九五一番田八畝〇七歩(被告別表三番号欄(3)記載の土地)外三筆を買受け、

(3) 同年三月三日九州商事から同市大字同字永田一二五〇番一田五畝〇八歩(同別表番号欄(1)記載の土地)を買受け。

(4) 同年同月一八日木村晃子から同市大字同字浜田九四三番一田四畝一四歩を買受け、

(5) 同年同月二六日岡本肇から同市大字同字浜田九五〇番一田六畝〇七歩外筆(同別表番号(2)記載の土地)を買受け。

(6) 同年同月頃藤田海二郎から大分市大字大分字古池尻三八六〇番一宅六八坪を買受け、

(7) 同年四月四日右田勝喜から別府市大字北石垣字町田一一五六番一田四畝一〇歩外二筆(同別表番号欄(4)記載の土地)を買受け、

(8) 同年六月藤田緑郎から大分市大字大分字西尾三四八七番畑九畝〇六歩を買受けたこと、右各土地のうち、(6)、(8)の藤田海二郎及び藤田緑郎から買受けた土地を除くその余の土地は、取得後何ら利用することなく保有し、昭和三九年になって前記のとおり被告別表三番号欄(1)ないし(4)記載の各土地を第三者に売却したものであることを認定することができ、右認定を覆えすに足りる証拠はない。

2  右各土地の取得目的に関連して、原告本人尋問の結果(第一・二回)のうちには、つぎのとおり強調する部分がある。

「右各土地のうち、別府市内に取得した各土地はいずれも原告が代表取締役となり、酒造業を営んでいた有限会社葛城酒造場(以下葛城酒造場という。)の酒造場移転目的のため取得したものであり、(1)は酒類販売店舗及び従業員宿舎等の建設用地、(2)(うち一括買受を売主に求められて余儀なく買った二筆を除く。)。(3)ないし(5)はいずれも酒造工場建設用地、(7)は米栽培用地として購入したものである。原告は、昭和三六年三月三日から同年同月五日位までの間に大分県の工業試験場に依頼して別府市内に購入した右酒造工場用地の水質検査をしたが、酒造に不適当な水質であることが判明した。したがって、右(4)(5)(7)の土地を取得した頃は水質検査の結果が出ていたが、これらの土地は昭和三六年一月頃からすべて並行して買受交渉をしていたため水質検査結果判明後に買受を取止めることはできなかった。(6)(8)の大分市内の土地は、別府の前記予定地の水質が不適当であったため急拠大分市内に求めた酒造用地であり、買受後水質検査の結果良好であったが、(6)(7)の土地だけでは酒造場用地として狭すぎ、その付近でさらに取得を予定していた土地の所有者が売却に応じなかったため、結局右土地においても酒造場建設は実現しなかった。」

しかし、右本人尋問の結果部分については、つぎのような不自然な点を指摘することができる。すなわち、酒造業経営のためには良好な水質を得られることが肝要であるが原告本人尋問の結果(第一回)によれば、別府市内で取得した土地を選択したのは、近所の者のうわさで飲料水として良好な水質である旨聞いていた程度にすぎないというのであり、また、右田勝喜から購入した米栽培予定地という土地については、右本人尋問の結果によれば、原告の直感で適地と判断したし、従前別府市内の酒造業者が右田に委託して右土地で米を栽培していた実績があるというのであるが、証人緒方茂三の証言により真正に成立したものと認められる乙第一〇四号証によれば、右田が右のような栽培をしていた実績があるとは到底認められない。つぎに、水質検査により酒造業不適という結果が出たのであれば、ただそれ以前に買受交渉をしていたという理由だけでその後にも酒造業用土地の取得を継続したことは必ずしも説得的とはいえないし、酒造用の水質検査を実施したこと自体についても、右本人尋問の結果補強すべき証拠は全く存在しない。大分市内に取得した土地についても、事前に水質について的確な確認がなされた形跡がないし、右本人尋問の結果によれば、酒造場を建設するとすれば広さの関係で当然取得する必要があった隣接地について、ただ近所の者から売ってくれるであろうという話を聞いただけで、所有者の確認さえもしておらず、結局のちにわかった所有者からは売却を拒絶されたというのであって、酒造場用地の取得目的とすればいかにも不用意である。さらに、右本人尋問の結果のうちには、原告は、大分市内に取得した前記土地で酒造業を経営することが不能に帰したためやむなく右土地上に原告の居宅を建築したという部分があるところ、右本人尋問の結果と証人小田部倹の証言により真正に成立したものと認められる乙第三二号証の八によれば、原告は、昭和三六年六月六日合資会社多田工務店との間で、右居宅建築の請負契約を締結し同月一〇日に代金の一部を支払ったこと及び右居宅は鉄筋コンクリート造二階建の床面積延一一五・五六坪のものであり(このことは、当事者間に争いがない。)、冷暖房設備も完備した相当豪華な建物で、その建築計画から実行までにはある程度の期間を要するものであることを認定することができ、右認定を覆えすに足りる証拠はないが、前記のとおり、原告は、大分市内の土地を昭和三六年三月から六月までに取得したのであるから、右土地における酒造業経営計画を変更し居住建築に切替えるまでの期間は不自然に短期なものといわざるを得ないのであって、原告本人尋問の結果にある前記隣地所有者との売買交渉期間を含めるとすれば、さらに不自然であり、前記大分市内の土地を酒造業経営のため取得した旨の前記原告本人尋問の結果は、この点でも相当疑問がある。

3、原告は、さらに、原告が前記主張の取得目的を有していたことの徴憑として

「昭和三六年分所得税の確定申告に際し、代替資産の見積額等の承認申請書を被告に提出し、右申請にともなって、他の土地、建物とともに被告別表三番号欄(1)ないし(4)記載の土地を代替資産とする旨記載した書面を被告に提出したが、右書面の一部が乙第四号証であり、乙第四号証には、本来右(1)ないし(4)記載の土地を記載した四枚目が存在した。」と主張し、原告本人尋問の結果(第一回)のうちには、右主張に副う部分がある。

そこで、この点について検討するに、前記乙第三二号証の八、成立に争いのない同第一ないし五号証、公文書であるから真正に成立したものと推定すべき同第六号証の一・二、証人小田部倹の証言により真正に成立したものと認められる同第三二号証の一ないし七、同号証九ないし一一、右証言及び原告本人尋問の結果(第一・二回)によれば、つぎの事実を認定することができる。

原告は、曽祖父の時代に創業した個人企業の酒造業を第二次大戦前に家督相続により引継いだが、昭和二六年頃葛城酒造場を設立して代表取締役となり、原告個人所有の大分市上戸次四六九六番二等の宅地数筆及び地上建物を葛城酒造場の酒造用施設の一部に提供し、また、同地上の自己所有建物を住居にしていた。ところが、右土地、建物は、建設省起業大野川改修工事のため、昭和三六年三月三〇日付及び同年五月二九日付で国に買収され、つぎのとおり補償金の支払がなされた。

(1) 土地補償金 一八四万一九五〇円

(2) 家屋移転料等 一四六八万八九五八円

(3) 仮住居補償金 二万七〇〇〇円

(4) 営業補償金 九〇万四七五九円

合計 一七四六万二六六七円

右補償金のうち(4)の九〇万四七五九円は葛城酒造場の収益となるから、残金一六五五万七九〇八円が原告の昭和三六年分所得税の課税対象になるが、右補償金については、昭和三六年分所得税の計上、当時の租税特別措置法三一条の代替資産取得にともなう特別措置が適用されたため、前記土地、建物の譲渡がなかったものとされて課税されなかった。原告は、昭和三六年分所得税の確定申告に際し、昭和三七年三月一五日右措置法三一条二項の規定による代替資産の見積額等の承認申請書(乙第一号証)及び代替資産の内訳を記載した書面(乙第四号証)を提出して右措置法の適用を求め、これが容れられたため、前記買収による譲渡がなかったものとして所得税が計算されたのである。

以上のように認定することができ、右認定を覆えすに足りる証拠はない。

しかし、乙第四号証に原告主張のような記載のなされた四枚目が存在した旨の前記原告本人尋問の結果部分は、つぎのとおり採用することができず、その他に右主張事実を認定するに足りる証拠はない。すなわち、乙第四号証の記載の仕方(土地関係の明細と金額の小計、家屋関係の明細と金額の小計、家屋以外の工作物等の明細と金額の小計を順次記載したうえ、これらの合計金額を本文の最後に記載し、これに続いて備考が記載されている。)をみれば、乙第四号証はこれだけで完結した書面であることをうかがわせるものであるし、また、たしかに、原告が強調するように、乙第四号証に記載されている土地、建物の見積取得額合計二〇七四万一九〇四円に被告別表三番号欄(1)ないし(4)記載の土地の取得価額八四三万八九八〇円を加えると合計二九一八万〇八八四円となり、前記乙第一号証の代替資産の取得価格の見積額欄に記載されている二九〇〇万円に近い金額になることを認定することができるが、しかし、前記のとおり、原告は、昭和三六年一月以降同年四月までの間に、別府市大字南石垣及び北石垣内に被告別表三番号欄(1)ないし(4)記載の土地を含む一二筆の土地を購入しており、前記乙第一〇五号証、証人小田部倹の証言、原告本人尋問の結果(第一回)によれば、そのうち原告が酒造用地の代替地とする趣旨で購入したものではないとしている二筆(前記西村重則から購入した土地のうち前記乙第一〇六号証の二番号欄28・29記載の土地)を除いてもその金額は合計一六二三万円余となることが認められるから、このうち昭和三九年中に第三者に売却した被告別表三番号欄(1)ないし(4)記載の土地だけを昭和三七年三月の確定申告の段階で取上げこれを乙第四号証の内訳書に記載して被告に提出することは、ほぼあり得ないことといわなければならない。

このような理由で、原告が昭和三六年分所得税の確定申告に際し、買収された酒造用地等の代替資産として被告別表三番号欄(1)ないし(4)記載の土地を含めて申出た事実を認定することはできず、かえって、前記乙第三二号証の一ないし一一、証人小田部倹の証言によれば、被告は、原告の右承認申請について原告に資料の提出や申述を求めて調査したが、その結果、土地については、前記のとおり右代替資産の見積額等の承認申請書提出以前に前記乙第四号証に記載されている藤田緑郎、藤田海二郎の土地二筆を代金合計一三四万二〇〇〇円で原告が取得しており、また、これとは別に、右確定申告時までに原告は葛城浩三から大分市大字大分字下井西(町名変更後は顕徳町三丁目)四四一二番一宅地一六八坪を取得していたが、被告は右土地取得代金額を一二〇万円と認定し(なお、証人葛城浩三の証言及びこれによって真正に成立したものと認められる甲第二五号証の三・四、原告本人尋問の結果(第一回)によれば、原告は、右土地取得に関して結局一九〇万円の支払を要したようでもあるが、その取得及び支払の経緯は明確でないため、右調査時点において被告が取得代金を一二〇万円と認定したことは不合理とばかりいえないことを認定することができ、右認定を覆えすに足りる証拠はない。)、以上の合計二五四万二〇〇〇円の取得代金による右各土地が代替資産となるものと判断し、また、建物関係については、原告が前記被買収建物の材料を用いて大分市大字大分字古池尻に建築した建物(その移築に要した費用二八六万一〇一九円)及び昭和三七年二月一〇日に建築した居宅(その新築費用一六〇六万五八七〇円)の二件が代替資産となるものと判断し、その結果、被告は、前記買収により原告が受けた補償金を昭和三六年度の課税の対象としなかったものであると認められ、右認定を覆えすに足りる証拠はないのである。

したがって、被告別表三番号欄(1)ないし(4)記載の土地は、昭和三六年分所得税の計上、原・被告双方とも前記代替資産として取扱わなかったものであるから、原告が前記取得目的を裏付ける事実として主張する前記代替資産承認関係の事実も、右裏付けとしては不適当である。

4、また、

(一) 成立争いのない甲第三号証の一ないし三と原告本人尋問の結果(第一回)によれば、原告は、昭和三七年四月二三日受付で大分県知事宛に、西村重則から買受けた前記別府市大字南石垣字永田九五一番田八畝〇七歩外一筆について、酒造工場等建築を目的とする農地法五条の許可申請をなしていることを認定することができ、右認定を覆えすに足りる証拠はなく、

(二) 原告本人尋問の結果(第一回)のうちには、原告は、昭和三六年一月頃以降別府市内または大分市内に酒造工場を建築するための設計を宝酒造株式会社に依頼し、その後右設計図は完成して原告が受領した旨の部分があり、

(三) 右本人尋問の結果のうちには、葛城酒造場は、昭和三六年五月初旬頃はじめて廃業を検討するようになったもので、それまでは酒造工場の移転だけを考え、当時被告にもその旨上申していた旨の部分がある。

しかし、(一)の点については、前記のとおり、昭和三七年四月当時原告が右申請目的を有しなかったことが明らかである。もっとも、原告本人尋問の結果(第一回)のうちには、原告は、右土地の売買契約後すぐに同一目的で転用許可申請をしたが、右土地の旧所有者と大分県との間で右土地について訴訟が係属中であったために右申請がたなあげされ、訴訟の解決後改めて同一内容の申請を提出するよう示唆されて前記申請書を出し直したものであるという部分がある。しかし、そうだとすると、右土地の水質等その他の条件が適合したとしても同土地に現実に工場を移転することが可能となるまでには相当長期間を必要とするおそれがあったことになるのにこの点の見通しについて何らかの配慮がなされたことを認めるに足りる証拠はないのであって、かえって原告主張の取得目的に副わないものといわなければならないし、右の取得後間もなく同一内容の転用許可申請をしたとの点自体も、これを補強するに足りる十分な証拠がない。

(二)の点については、右原告本人尋問の結果を補強すべき証拠がない。

(三)の点について、原告の事業の推移についてみるに、前記乙第三二号証の六・七、成立に争いのない甲第二三、二四号証、乙第七〇号証、第九二ないし九四号証の各一・二、第九五、九六号証、原本の存在、成立とも争いのない同第七、八号証、証人小田部倹の証言、原告本人尋問の結果(第一、二回)によれば、つぎの事実を認定することができる。

原告は、前記のとおり葛城酒造場の代表取締役をしていたほか、先祖伝来の農業及び山林業を経営していた。葛城酒造場の事業用建物及び原告の旧居宅並びにその敷地等は、大野川の河岸近くであったが、同地区(上戸次地区)は大野川改修工事計画の最上流端付近にあたり、昭和二九年に対岸の護岸工事がなされた影響で水害のおそれが生ずることとなった。原告を含む関係者は、その頃からたびたび護岸工事をするよう関係当局に陳情したが、建設省は、昭和三五年九月下旬までに、護岸工事によっても水害のおそれを防止しえないとの判断のもとに、上戸次地区の家屋等を移転させることに計画を変更することとし、間もなくこれが正式に決定された。原告は、昭和三五年一〇月中には、右設計変更のため早急に立退く必要があることを知っていた。原告は、昭和三五年一〇月一二日付で被告に対し、昭和三五年度に原料米割当基準指数二〇二・四のうち八八・〇を伏見銘醸株式会社に委託醸造することを申出て、被告の同意を得たが、原告は、前記大野川改修工事にともなって住宅、店舗、工場を移転する必要があることを委託醸造の理由としてあげ、その旨の誓約書を提出した。葛城酒造場は、昭和三六年五月六日付合併契約に基き、同年六月二六日独占禁止法一五条二項の届出受理を経由してその後間もなく都酒造株式会社に吸収合併されて廃業した。

以上のとおり認定することができ、右認定を覆えすに足りる証拠はない。

しかし、原告本人尋問の結果(第一回)によれば、酒造工場を移転し新たに製造を開始する場合には一年以上の休業状態になることを余儀なくされその後従前の経営状態に戻ることは極めて困難であることを認定することができ右認定を覆えすに足りる証拠はないのに、右原告本人尋問の結果によれば、原告が、原告主張の移転計画にともないこの問題を検討し対処したことはなかったものと認められる。また、前記甲第二四号証、乙第七号証、原告本人尋問の結果(第一回)によれば、合併によって、葛城酒造場の取締役は都酒造株式会社の株主となるが、その経営に関与せず、従業員も引継がれないものであり、先祖伝来の酒造業は遂に完全に廃業することに至ることを認定することができ、右認定を覆えすに足りる証拠はないし、その他合併にもともなう諸条件の交渉、妥結に必要な期間を考えれば、合併の話が昭和三六年五月初旬にはじめて出たという原告本人尋問の結果部分は、到底採用することはできないのであって、むしろ、その相当以前からあったものと推認するのが相当である。これらのことと、原告が昭和三五年一〇月頃には酒造場を撤去する必要があることを知っていたことを合わせ考えると、葛城酒造場の右推移からしても、昭和三六年一月から同年四月頃までの間原告が酒造工場等を別府市内に移転する計画を有していた旨の前記本人尋問の結果は、直ちに信じ難いものといわなければならない。

なお、前記乙第八号証、第七〇号証、第九二ないし九四号証の各一・二、第九五号証、成立に争いのない同第一二一号証の一・二、第一二六号証の一ないし三、証人緒方茂三の証言により真正に成立したものと認められる同第一二〇号証の一ないし一〇、証人小田部倹の証言、原告本人尋問の結果(第一回)によれば、被告側の調査によると、葛城酒造場の計算利益は、昭和三二年事業年度(昭和三一年一〇月一日から同三二年九月三〇日まで)が利益一三八万一八八〇円、昭和三三年度が欠損六八万七一〇九円、昭和三四年度が利益一七万一八八四円、昭和三五年度(同年八月三〇日まで)が欠損四九万二七三三円であること、葛城酒造場は、昭和三二年から原料米を委託醸造に出していたこと、委託醸造は、原料米の割当を受けた酒造業者が他の酒造業者に委託して醸造させ、委託者はこれによると対価を相手方から取得する制度で、販売力の弱い業者と強い業者の間の原料米の需給調整方法として行なわれていたものであること、葛城酒造場の委託醸造による収入は、被告側の調査によると、昭和三二年度が一七三万円、昭和三三年度が二一八万円、昭和三四年度が一五一万〇五七九円、昭和三五年度が二九六万七二〇〇円であり、したがって、前記計算利益から右の委託醸造収入を控除すると、葛城酒造場自体の製造販売による利益は、計算上、昭和三二年度から同三五年度まで毎年かなりの欠損になること、委託醸造については、原料米の割当を受ける地位が事実上権利化することにともなう弊害などが指摘されるようになり、国税庁は、従前の取扱を変更し、昭和三五年度以降においては、風水害、火災等の災害、やむを得ない工場の全面的修理又は移転等の理由で清酒の製造が不可能となったために委託する等特別の事情のない以上委託醸造を許さないこととしこれを公表していたこと、原告は、合併に関する前記公正取引委員会への届出において、合併を必要とする理由として、大野川改修工事のため製造場を撤去せざるを得なくなったが、替地を求めて新設する資力がないこと、数年来委託醸造によりかろうじて営業を続けて来たが、明酒造年度から政府の方針により委託醸造が不可能となることなどのため今後経営を継続する見込がたたないことなどをあげていたことを認定することができ(右認定を覆えすに足りる証拠はない。)、右事実に照らすと、前記原告本人尋問の結果はたやすく措信しえないことが一層明白になるといわざるをえない。

5、ひるがえって、成立に争いのない乙第五〇号証の一・二、第六六号証の一ないし三、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる同第六七号証、証人小田部倹の証言、原告本人尋問の結果(第一回)によれば、原告は、昭和三六年一月以降同年四月までに別府市南石垣及び同市北石垣に取得した前記各土地について、西村重則から買受けた四筆のうち二筆(按分取得価格二〇〇万七六〇〇円)は昭和三八年六月三〇日代金四三二万円で、九州商事、岡本肇から各買受けた土地(被告別表三番号欄(1)(2)記載の土地)及び西村重則から買受けた土地のうち一筆(同(3)記載の土地。右(1)ないし(3)の土地の取得価格は合計六〇七万二九八〇円。ただし、(3)の土地は按分取得価格)は昭和三九年三月三一日代金二〇〇二万一〇〇〇円で、右田勝喜から買受けた土地三筆(同年六月二日代金五四〇万八〇〇〇円で、また残りの土地は昭和四二年及び同五〇年中に、いずれも売却したが、右各売却までの間、右各土地は何ら利用されることなく保有されていたこと、被告別表三番号欄(1)ないし(4)記載の土地は、当時いずれも田であったが、国道一〇号線の近くにあって、右(1)ないし(3)の土地は、当時進行していた石垣地区土地区画整理事業の施行区内で、かつ、すぐ近くに別府国際観光港の建設が決っていて、これらの土地は、昭和三六年以前から、将来地価の上昇が見込まれる状況にあったこと、原告は、借入金を資金として右各土地を買ったものであり、買受、転売は不動産仲介業者の仲介によってなされたものであることを認定することができ、これらのことと、前記原告主張の取得目的を肯認することのできない理由としてあげた諸点、及び、原告は、後記のとおり昭和三六年中に別府市内に取得し昭和三九年中に第三者に転売した土地のうち右転売による所得が事業所得に該当するものであることを認めるものがあることを合わせて考えれば、原告は、値上りをまって転売することを意図して被告別表三番号欄(1)ないし(4)記載の土地を取得したものと認めるのは不合理といえない。

6、また、前記乙第一〇六号証、証人小田部倹の証言、原告本人尋問の結果(第一回)、弁論の全趣旨によれば、原告は、

(一) 昭和三五年一〇月以降同年中に大分市大字小池原字向原所在の山林一〇筆、同市大字猪野字黒野地所在の原野一〇筆、同市大字大分所在の宅地一筆・建物を一三名の所有者から買受け、右各土地、建物を、昭和四一年、四四年、四五年、五〇年にわけて第三者に売渡した(後記昭和三五年一〇月三日に葛城酒造場から取得した土地、建物を除く。)

(二) 昭和三六年中に別府市内所在の田一四筆、雑種地一筆、墓地四一筆を一〇名の所有者から買受け、右各土地を、昭和三八年ないし四三年、同五〇年にわけて第三者に売渡した(なお、右取引のうち被告別表三番号欄(1)ないし(4)記載の取引が含まれ、また、原告が本件訴訟で昭和三九年分の事業所得を生じた取引であることを自認する被告別表三番号欄(5)及び((16)欄(イ)の取得年月日三八年五月とあるは、前記乙第一〇六号証の二・三、原告本人尋問の結果(第一回)、弁論の全趣旨により、三六年一〇月五日の誤りであると認められる。)の取引も右取引に含まれる。ただし、前記藤田海二郎、藤田緑郎から取得した土地の取引は含まれていない。)

(三) 昭和三七年中に大分市内の土地三筆を二名の所有者から買受け、右土地のうち二筆を同年中に第三者に売渡した。

(四) 昭和三八年中に大分市内、別府市内の宅地、田、畑、山林等七九筆、建物一棟を三四名の所有者から買受け、右土地のうち大部分を、昭和三八年以降同四五年までの間に第三者に売渡した(右土地のうちには、原告が本件訴訟で昭和三九年分の事業所得を生じた取引であることを認める被告別表三番号欄(6)(8)(9)(12)記載のものを含む。)

(五) 昭和三九年中に大分市内、別府市内、湯布院町内、日出町内の宅地、田、畑、山林等二四筆、建物一棟を一二名の所有者から買受け、その大部分を、昭和三九年以降同四五年までの間に第三者に売渡した(後記湯布院町大字川北米山所在の原野の取引はひとまず除外する。右土地のうちには、原告が本件訴訟で昭和三九年分の事業所得を生じた取引であることを認める被告別表三番号欄(13)ないし(15)記載の土地を含む。)

ことを認定することができ、右認定を覆えすに足りる証拠はない。右のとおり、原告の昭和三五年以降の不動産取引は連年反覆継続して大量である。

右事実によれば、昭和三五年に取得した前記各土地が原告主張のように山林業の事業用資産とする目的で取得されたものと仮定しても、原告は、遅くとも昭和三八年初頭以前からその取引の回数と範囲において社会通念上不動産業に該当する事業を経営していたものと認めることができる。しかして、不動産業開始前に前記のとおり転売して利益をあげることを目的として取得した土地を不動産業開始後右目的に沿って売却した場合には、特段の事情のない限り、右売却は不動産業経営の一環としてなされたものと認めるのが相当である。そうだとすると、前記説示に照らして考えると、冒頭に判示したとおり被告別表三番号欄(1)ないし(4)記載の土地を譲渡したことによる所得は、事業所得に該当するものといわなければならない。

第三事業所得の金額

一、事業所得計算上の総収人金額

1、原告が被告別表三番号欄(6)、(8)ないし(13)、(16)記載のとおり各売渡先に対し右各記載の売渡価格でそれぞれの土地を売渡し、これらの代金が原告の昭和三九年分事業所得の収入に該当することは当事者間に争いがなく、その金額は、合計二八〇六万三九〇〇円である。

2、第二で認定したとおり、被告別表三番号欄(1)ないし(4)記載の各売渡による収入は、原告の昭和三九年分事業所得の収入にあたるものであり、その金額は、合計二五四二万九〇〇〇円である。

3、被告別表三番号欄(5)記載の土地の売渡価格

原告が被告別表三番号(5)記載の土地を昭和三九年八月一七日藤巻春子に売渡し、その代金が原告の同年分事業所得の収入に該当することは当事者間に争いがなく、原本の存在、成立とも争いのない乙第一三号証の二、証人藤巻春子の証言により原本が存在し真正に成立したものと認められる同第四三号証の二、第五四・五五号証、第五六号証の一・二、第五七号証、右証人及び証人小田部倹の各証言によれば、右代金を一九五万円及び三二二万五〇〇〇円とする二通の契約書が存在するうち、前者の金額は売主側の事情によって架空の金額が記載されたにすぎず、実際には後者の代金が当事者間で真実約束された代金であること、なお、藤巻春子は、実際少なくとも三二二万五〇〇〇円の代金を支払っていることを認定することができ、原告本人尋問の結果(第一回)のうち右認定に反する部分は採用できず、その他に右認定を覆えすに足りる証拠はない。

4、被告別表三番号欄(7)、(14)、(15)記載の土地の売渡価格

原告が、(イ)昭和三九年六月二一日渡辺忠義に対し被告別表三番号欄(7)記載の土地を、(ロ)同年一一月二九日沼口トシ子に対し同(13)ないし(15)記載の大分市大字大分字菜ノ本二六四六番三田四一五・五坪のうち五〇坪を、(ハ)同年一〇月七日小野馨に対し右四一五・五坪のうち七三坪をそれぞれ売渡したこと、右各売却代金が原告の昭和三九年分事業所得の収入に該当することは、当事者間に争いがない。

成立に争いのない甲第七・八号証、第一〇号証によれば、右各売買契約について作成された契約書上、代金は、(イ)については四五万五〇〇〇円、(ロ)については四〇万円、(ハ)については一〇二万二〇〇〇円と記載されていることを認定することができるが、被告は、右代金はいずれも仮装のものであり、真実は、(イ)が八〇万円、(ロ)が一一〇万円、(ハ)が一一六万八〇〇〇円であると主張する。被告の右主張は、右各売買を仲介した明治不動産株式会社(以下明治不動産という。ただし、(イ)については、その子会社である明治開発株式会社。以下、明治開発という。)の仲介手数料から逆算する方法に主たる根拠をおくものであるので、まずこの点について検討するに、原告本人尋問の結果(第一回)により真正に成立したものと認められる甲第三四号証、証人小田部倹の証言により真正に成立したものと認められる乙第一五号証及び右証言によれば、つぎの事実を認定することができ、右認定を覆えすに足りる証拠はない。

右各売買は、明治不動産又は明治開発が仲介したが、これらの仲介業者は、仲介手数料について、同一取引につき、同日付でつぎの(ⅰ)(ⅱ)の二通の書面を作成しており、(ⅰ)には代金額及びこれに料率を乗じた手数料額の記載がなされ、右(ⅱ)にはこれと異なる手数料額だけの記載がなされ、右(ⅰ)(ⅱ)の合計が手数料と異なるものであった。前記三件の売買について右の分割された手数料の金額をみると、つぎのとおりである。

渡辺忠義分 (ⅰ) 二万二七五〇円

(ⅱ) 一万七二五〇円

沼口トシ子分 (ⅰ) 二万円

(ⅱ) 三万五〇〇〇円

小野馨分 (ⅰ) 五万四七五〇円

(ⅱ) 三六五〇円

ところで、当時の宅地建物取引業法一七条一項により大分県知事の定めた報酬の最高限度額は、当事者の一方から、代金二〇〇万以下の部分については五パーセント、二〇〇万円をこえ五〇〇万円以下の部分については四パーセント、五〇〇万円を超える部分については三パーセントとして、その合計額とされていたのであるが、渡辺忠義分の手数料のうち(ⅰ)の二万円がそれぞれ前記契約書上の代金額四五万五〇〇〇円及び四〇万円の各五パーセントに該当する。小野馨分の手数料のうち(ⅰ)の五万四七五〇円は、前記契約書上の代金額一〇二万二〇〇〇円の五・四パーセントに該当するが、右代金額は坪当り一万四〇〇〇円の計算になるところ、坪当り一万五〇〇〇円の割合として計算すると正額に(ⅰ)の五万四七五〇円が算出されるので、右(ⅰ)の金額は、何らかの理由により坪当り金額を一万五〇〇〇円としたうえでやはりその五パーセントとして算出されたものであると推認される。

しかして、本件訴訟の経過と前記甲第三四号証によれば、原告は、手数料額として、渡辺忠義分については二万二七五〇円、沼口トシ子分については二万円(成立に争いのない甲第九号証がその領収書)であると主張していたところ、昭和五三年八月九日付準備書面(最終)で、沼口トシ子分については、前記(ⅰ)(ⅱ)の合計五万五〇〇〇円が仲介手数料であると主張を変更したものであるが、右の従前の主張はいずれも前記(ⅰ)の金額に一致し、かつ、主張変更後の右金五万五〇〇〇円は、沼口トシ子分の前記(ⅰ)(ⅱ)の合計額に一致するのであるから、前記明治不動産の資料による手数料による手数料の金額は、基本的には正確な金額であると認めることができるし、その反面、明治不動産又は明治開発と原告は、手数料の金額をあえて二通りに分割し、そのうち契約書上の代金額を基準として前記知事の定めた手数料限度額だけが公にされるべきものとする方法を採用していたものと推認することができる。他方、このように右限度額を手数料計算の基準としていたことは、つぎの事実によっても裏付けることができる。すなわち原告が昭和三九年中に被告別表三番号欄(1)ないし(3)記載の土地を売却した取引も明治不動産の仲介によるものであったが、右売買の売渡経費が六七万円であったことは当事者間に争いがなく、前記甲第三四号証によれば右六七万円は仲介手数料であったと認められるところ、六七万円は、売却代金二〇〇二万一〇〇〇円(このことは当事者間に争いがない。)に基いて前記知事の定めた限度額により計算した手数料にほぼ正確に一致するのであり(計算上六七万〇六三〇円になる。)、また、証人小田部倹の証言により真正に成立したものと認められる乙第三四号証、第四七号証によれば、渡辺忠義分の売買代金は一応八〇万円とする旨合意されたことが認められ、右認定を覆えすに足りる的確な証拠はないが、前記渡辺忠義分の手数料(ⅰ)の二万二七五〇円、(ⅱ)の一万七二五〇円の合計四万円は、右八〇万円の五パーセントに該当するのである。

以上の諸事実によれば、前記明治不動産の資料による手数料額((ⅰ)(ⅱ)の合計)は売却代金を基準として前記知事の定めた限度額によって計算された金額であり、したがって、前記各契約書上の代金額にかかわらず、真実の売却代金は、右手数料を逆算して得られる金額であると推認することは、本件にあっては相当の合理性を有するということができる。

そこで、さらに、前記各契約書上の代金額の信憑性について検討する。

まず、渡辺忠義に対する売買についてみるに、右土地の取得価格が六三万円であることは当事者間は争いがないので、前記四五万五〇〇〇円の売却代金はこれを相当下まわることになり、また、前記乙第三四号証によれば、渡辺忠義は、昭和四二年二月一四日大蔵事務官の質問に対し、売買代金等についてあいまいな回答をなし、契約書上の代金額と実際の代金額はちがっていたと思うがはっきり記憶していない旨、八〇万円は言い出し値であったと思うが、その後物件が相異していたなどの問題があったため二転三転し、かなり減額してもらったと記憶している旨答えたことを認定することができ、右認定を覆えすに足りる証拠はない。これらの点は、一見、前記四五万五〇〇〇円の代金額の信憑性を疑わせるものであるといえよう。しかし、反面取得価格を下まわる点については、原告主張のとおり原告は渡辺忠義に売渡した土地を含む合計三六七・五九坪を代金一六五万一五〇〇円で買ったものであり、そのうち渡辺忠義に分割して売渡した一四〇坪の残り二二七坪を昭和四〇年一月二一日に伊牟田俊雄に対して代金一三六万二〇〇〇円で売渡していることは被告において明らかに争わないので自白したものとみなされ、そうすると、渡辺忠義分の代金が四五万五〇〇〇円であっても、結局総売却価格は取得価格を相当上まわっていることになること、また、八〇万円の代金が最終的には減額されたものであるとの点については、右土地の売買の仲介人である明治開発の係員が同社の社長宛に報告した減額理由書(乙第四七号証)によると右土地が契約物件と相違しており、これを理由に代金八〇万円の減額を余儀なくされた旨の記載があり、これは、一応その裏付証拠とみられないでもないことを照らすと、(前記乙第三四号証の記載と右記載を合せ考えると右土地取引について当事者間に何か粉争があったことをうかがうことができる。)結局、前記四五万五〇〇〇円の代金額に疑問な点があるとしても、これを八〇万円と認定することには、若干ちゅうちょされるところがあり、本件証拠上その他には、被告主張の代金額を認定するに足りる的確な証拠はないので、結局、右代金額は、原告主張のとおり四五万五〇〇〇円であったと認定するほかない。

つぎに、沼口トシ子、小野馨分についてみると、原告は、昭和三九年七月三日首藤郡平から前記大分市大字大分字菜ノ本二六四六番三の土地四一五・五坪を代金四四〇万三〇〇〇円で買受け、その取得経費が二二万六五八五円であること、原告は、右土地を三分割し、その二区画を前記のとおり沼口トシ子、小野馨に売渡し、他の一区画は、昭和三九年一一月一二日市原建設株式会社に代金三四四万六〇〇〇円で売渡し、その売渡経費が五万円であること、沼口トシ子に売却した売渡経費が五万五〇〇〇円であることは当事者間に争いがないので、小野馨に売却した売渡経費が原告主張のとおり五万一一〇〇円であるとして考えても、前記各契約書記載の代金額によれば、代金収入は合計四八六万八〇〇〇円となり、売上原価及び売渡経費の合計四七八万五六八五円との差額はわずかに八万二三一五円にしかならないのであって、一般経費を考慮し、かつ、仕入価格との対比、仕入れから売却まで三か月ないし四か月の期間があることを考慮すると、いかにも売上金額が低すぎるといわなければならない。このことと、前記のとおり藤巻春子との売買で裏契約をしていたこと、沼口トシ子分の手数料五万五〇〇〇円が代金四〇万円の取引についてのものであるとすると、代金が一〇〇万円以上の取引である小野馨分の手数料が原告の主張でも五万一一〇〇円であると比較して均衡を欠くものであることなどの事実に照らすと、少なくとも沼口トシ子分の右契約書記載の代金額を否認することは相当性を欠くものではなく、かつ、前記判示の明治不動産の資料による手数料から逆算し、真実の代金額を一一〇万円と認定することは、合理的であるというべきである。

しかし、小野馨分については、原告の手中にある前記甲第九号証の領収書によれば、仲介手数料は五万一一〇〇円とされており、右金額は、明治不動産の資料による分割された手数料額のいずれとも一致せず、かつ、右資料による手数料合計五万八四〇〇円に近似するものであるところ、右不一致の理由を確認する資料はなく、かえって前記のとおり、明治不動産の計算は坪当り単価を誤ったものと疑われないでもなく、甲第九号証による五万一一〇〇円が真実でないと断定するだけの証拠はないので、この分については、原告主張のとおり一〇二万二〇〇〇円が売却代金であったと認定する他ない。

5、被告別表三番号欄(17)記載の取引について

(一) 被告は、被告別表三番号欄(17)記載の湯布院町大字川北字米山八九六番二原野九町一反八畝(以下米山の土地という。)について、原告が「荒尾政英」の仮名を用いて同欄記載のとおり買受、売却したと主張するのに対し、原告は、米山の土地の取引には全く関与していないと主張するので検討する。

まず、証人手島康弘の証言及び原告本人尋問の結 のうちには、「荒尾政英」が実在するという趣旨の部分もあるが、これらはいずれもそれ自体明確性を欠き、公文書であるから真正に成立したものと推定される乙第二二号証の一・二、証人小田部倹の証言及び後記認定事実に照らして採用することができず、その他には、「荒尾政英」が実在することを認定するに足りる証拠はない。

(二) 甲第一五号証の一、乙第二〇号証、第二一号証の一・二、第三六号証、第六〇号証、第一一二号証の一・二は、成立に争いがない。乙第一八号証の一(甲第一五号証の一がその原本)、第二四号証の一・二の原本の存在及び成立はともに争いがない。乙第三五号証、第三七号証は、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認めることができる。乙第四〇・四一号証、第四六号証、第四八号証は、証人小田部倹の証言により真正に成立したものと認めることができる。乙第一六号証は、前記乙第三六号証及び右証言により原本が存在し高田武作成部分が真正に成立したことを認めることができ、「荒尾政英」作成部分は後記認定のとおり原告の意思に基づいて作成されたものと認めることができる。乙第一七号証の一・二は、前記証言及び弁論の全趣旨により原本が存在し「荒尾政英」以外の者の作成部分が真正に成立したことを認定することができ、「荒尾政英」作成部分は後記認定のとおり原告の意思に基づいて作成されたものと認めることができる。乙第二六号証の一・二、第二七号証は、前記証言及び弁論の全趣旨により原本が存在し真正に成立したことを認定することができる。乙第二八・二九号証の各一・二は、前記証言及び弁論の全趣旨により原本が存在し玉井栄次郎作成部分が真正に成立したことを認定することができ、「荒尾政英」作成部分は後記認定のとおり原告の意思に基づいて作成されたものと認めることができる。

右各書証及び証人小田部倹の証言によれば、つぎの事実を認定することができる。

(1) 「東京都千代田区紀尾井町四の三」に住所を有する「荒尾政英」と、米山六一人持代表者高田武との間で、「荒尾政英」が米山の土地を買う契約を締結した旨の昭和三九年八月一三日付売買契約書が存在するが、右契約書によれば、その契約条件はつぎのとおりである。

代金 六六〇万円

代金支払方法

(イ) 昭和三九年八月一三日手付金八〇万円

(ロ) 同年同月一五日頃までに中間金二五〇万円

(ハ) 同年一〇月一五日までに残金三三〇万円

(2) 右契約は、買主側から前記明治開発別府営業所長玉井栄次郎及び同営業所従業員藤本某が、売主側から前記高田武及び会計担当の高田幸吉が、湯布院町農業協同組合の事務所に参集して締結されたものであるが、高田武、高田幸吉らは、右契約書上買主が「荒尾政英」と表示されていることを確認していない(本件の全証拠によっても、右買主の表示がいつ記入されたものであるか確認することができない。)。

(3) 米山六一人持代表者高田武及び玉井栄次郎共同名義の普通預金口座は、(1)の売買代金を受領し保管することを目的として開設されたものであるが、右口座には、つぎのとおり入金がなされている。

(イ) 昭和三九年八月四日 八〇万円

(ロ) 同年同月一五日 一〇〇万円

(ハ) 同年同月一八日 一五〇万円

(ニ) 同年一〇月一〇日 二〇万円

(ホ) 同年同月三〇日 三三〇万円

(ヘ) 同年一一月二〇日 二五万円(大久保一二三より)

(4) 大分銀行北浜支店の原告の普通預金口座から、つぎのとおり払出しがなされている。

(イ) 昭和三九年八月四日 九八万円

(ロ) 同年同月一五日 一〇〇万円

(ハ) 同年同月一八日 一五〇万円

(5) 「荒尾政英」は、昭和三九年九月二五日明治開発代理人別府営業所長玉井栄次郎との間で、米山の土地を同会社に売る契約を締結したが、右売買契約書によれば、その契約条件は、つぎのとおりである。

代金 八四〇万円

代金支払方法

(イ) 昭和三九年九月二五日手付金二〇〇万円

但し、右手付金は、同年一〇月一六日に支払っても双方とも異議はない。

(ロ) 同年一一月二五日までに残金六四〇万円

(6) 昭和三九年一〇月一六日((5)の(イ)但書による手付支払期日)以降明治開発及び親会社明治不動産の各別府営業所から、つぎの支払がなされている。

(イ) 昭和三九年一〇月一六日明治開発から金額二〇〇万円の小切手が振出された。右小切手は、原告が受取り、原告の入金となった。

(ロ) 同年同月三〇日明治開発から金額三三〇万円の小切手が振出された。右小切手は、高田武、玉井栄次郎呉義の前記貯金に入金された。

(ハ) 同年一二月二九日明治不動産から金額五〇万円の小切手が振出された。右小切手は「荒尾政英」が受取り、同人の入金となった。

(ニ) 同年同月三〇日明治不動産から現金五〇万円の支払がなされ、同年同月三一日明治不動産から現金一一万三四〇〇円の支払がなされた。右各支払の受領者を直接確認するに足りる資料はない。

(ホ) 昭和四〇年一月二三明治不動産から金額一〇〇万円の小切手が振出された。右小切手は「荒尾政英」が受取り、同人の入金となった。

(ヘ) 同年二月二七日明治不動産から現金一六万六六〇〇円の支払がなされた。右各支払の受領者を直接確認するに足りる資料はない。

(7) 「荒尾政英」は、昭和三九年九月七日、一四人持代表者大久保一二三、高田元義、高田隆彦との間で、大分郡湯布院町大字川西字ユム田一二〇一番の原野一〇町歩(公簿上二町歩、以下ユム田の土地という。)を「荒尾政英」が買う契約を締結した。右売買契約の内容は、つぎのとおりである。

代金 八〇〇万円。但し、別に採草入会権政放棄の対価七〇〇万円。

代金支払方法

(イ) 昭和三九年九月七日手付金二〇〇万円

(ロ) 同年一〇月一〇日頃中間金三〇〇万円

(ハ) 同年同月三〇日までに残金全額

(8) 「荒尾政英」とユム田の土地の一四人持代表者大久保一二三との間で、昭和四〇年一一月七日、国立公園法上宅地造成、建築等に制約があることなどを理由として、(7)の売買契約を合意解除し、売主は受領ずみの代金全額を買主に返還することなどの合意をした旨の書面が作成されたが、右書面は、原告が、「荒尾政英」の氏名及び「荒尾」の印章を用いて作成したものである。

(9) ユム田の土地について、原告と湯布院町の間で昭和四〇年一一月一〇日、原告がユム田の土地を代金四〇〇〇万円で湯布院町に売る契約が締結された。

以上のように認定することができ、証人手島康弘の証言及び原告本人尋問の結果(第一、二回)のうち右認定に反する部分は採用することができず、その他に右認定を覆えすに足りる証拠はない。

(三) 米山の土地の売買契約に基づいて売主側が分割受領した代金のうち、昭和三九年八月一五日、同年同月一八日受領分に対応して、それぞれ同じ日に同額が原告の普通預金から払出されており、同年同月四日受領の八〇万円については、原告の右預金から同日右金額を若干上まわる九八万円が払出されていること、同年一〇月三〇日受領の三三〇万円は、明治開発振出小切手によって支払われたものであるが、米山の土地は、同年同月より前の同年九月二五日「荒尾政英」から明治開発に転売されており、その時点では「荒尾政英」は米山の土地の売主に対し残金三三〇万円が未払となっていたのであるから、このような関係で明治開発が直接米山の土地の売主に右残金三三〇万円を支払ったものと考えて不合理な点はないこと、「荒尾政英」と明治開発間の売買契約における手付金の約定支払期日に約定手付金額と同額の小切手が明治開発から振出されこれを原告が受領したことは、原告が「荒尾政英」の名を用いて米山の土地を買いこれを明治開発に転売したものであることを推認させるに足りるものである。

(四) そして、

原告が大久保一二三との間で作成した前記解約同意書(乙第二〇号証)には、前記のとおり原告が所持していた「荒尾」姓の印章が用いられているのであるが、右印影と、米山、ユム田の各土地売買契約書(乙第一六号証、第一八号証の一、甲第一五号証の一)の「荒尾」の印影とは酷似しており、これらが異った印章により顕出されたものであることを指摘できる部分は存在しない。

証人小田部倹の証言によれば、原告は、被告担当者に対し、右「荒尾」の印章は「吉岡荒尾」という人物の印章を預っているものであると述べているが、右申告内容は前認定の事実に照らして虚偽であるといわざるをえないし、原告本人尋問の結果(第一回)のうち右認定に反する部分は採用することができず、その他に右認定を覆えすに足りる証拠はない。

昭和三九年分所得税の確定申告及び昭和四一年分所得税の確定申告書添付の書類(成立に争いのない甲第三一号証、乙第三〇号証の一)に原告が記載した「東」「京」「都」「尾」などの文字は、前記米山、ユム田の各土地の売買契約書及び前記「荒尾政英」が受取った小切手二通(乙第二八・二九号証の各一・二)の各「荒尾政英」の住所氏名の該当文字と筆跡が酷似している。

前記乙第一九号証、三七号証によれば、ユム田の土地の売買契約は、売主側は大久保一二三、高田元義、高田隆彦の三名、買主側は明治開発の従業員手島康弘及び「荒尾政英」の代理人で小野といわれた人物が立会ってなされたが、前記解約同意書を作成するに際して原告と会った大久保一二三は、原告が「小野」と称した人物と同一人であると判断したことを認定することができ、右認定を覆えすに足りる証拠はない。

原告は、その経緯はともかく、ユム田の土地を買ってこれを明治開発に転売し多額の利益をあげたことが明らかであるのに、成立に争いのない乙第五八号証の一・二、第五九号証の一ないし三、証人小田部倹の証言によれば、昭和四〇年分所得税の損失申告をするに際して右転売利益を収入に計上せず、のちに修正申告をしてこれを修正した事実を認定することができ、右認定を覆えすに足りる証拠はない。

以上の諸点は、いずれも前記の推認を補強するに足りる事実である。

(五) これに対して、原告本人尋問の結果(第一、二回)のうちには、原告は、前記手島康弘から「ユム田の土地を荒尾という買主が買い手付金二〇〇万円を支払ったが、同人に残金支払能力がないので同人に代ってユム田の土地を買ってほしい。」旨の申込を受けたので、「荒尾政英」の肩代りをして原告がユム田の土地を買ったが、米山の土地には関係していない旨の部分があり、それによると、まず、前記(二)(6)(イ)の二〇〇万円受領の点は、原告が昭和三九年二月八日明治開発に土地を売渡した(被告別表三番号欄(6)記載の売買)代金のうち三〇〇万円位を明治開発に貸していたので、その返済として受取ったものであり、たまたま明治開発の「荒尾政英」に対する手付金支払期日と同一の日に提出されたものにすぎないというのである。右本人尋問の結果を直接否定すべき証拠はないが、他方、証人手島康弘の証言のうち右本人尋問の結果に一部副う部分も右小切手が右貸金の返済のため振出されたものである点までの裏付となるものでなはなく、その他に前記本人尋問の結果に副う証拠はない。そして、右本人尋問の結果部分は、前後に一貫性がなく、それ自体でも、十分の信憑力があるとはいえない。

つぎに、「荒尾」姓の印章について、原告本人尋問の結果のうちには、原告は、大久保一二三から「荒尾政英」との売買契約を解除しておく必要があるといわれ、そのころ「荒尾政英」が実在しないことがわかったので、やむを得ず原告が注文して「荒尾」印を作ったが、その際前記甲第一五号証の一の「荒尾」印に似せて作るよう注文したため両者が似ているのであるという部分がある。しかし、右本人尋問の結果は、それ自体十分説得力を有するものではなく、原告が前記被告担当者に「荒尾」印について述べた内容と異り、前記乙第一九号証の大久保一二三の供述中にもそのような経緯は述べられておらず、他に裏付となる証拠はない。

また、前記(二)(3)(4)の支払関係の符合については、原告が米山の土地の買主でないことを前提とした合理的な説明は、原告本人尋問の結果(第一、二回)のうちでも遂に何らなされていない。

(六) 以上によれば、原告は、「荒尾政英」の名を用いて、昭和三九年八月一三日頃米山の土地を代金六六〇万円で買受け、同年九月二五日これを明治開発に転売した事実を認定するのが相当であるところ、前記原告の事業について判示したところからすれば、右転売による収入は、原告の昭和三九年分事業所得の収入にあたるものというべきである。

(七) ところで、被告は、米山の土地の売渡価格は一〇四〇万円が事実であり、その理由として、明治開発は昭和三九年一〇月一五日金額二〇〇万円の小切手を振出し、これが、原告の支払うべきユム田の土地の代金の支払の一部にあてられているので、右二〇〇万円は、米山の土地の買受代金の支払の性質をもつものであると主張する。しかし、前記乙第四〇号証、成立に争いのない甲第一五号証の五、証人小田部倹の証言により原本が存在し真正に成立したものと認められる乙第二五号証の一・二及び右証言によれば、明治開発が被告主張の小切手を振出しこれがユム田の土地の売買代金の支払の一部にあてられたことを認定することができ、右認定を覆えすに足りる証拠はないものの、右事実は、必ずしも米山の土地の売買代金が一〇四〇万円であることに直接結びつくものではないので、それだけでは、被告主張の代金額の根拠とするには十分でなく、その他に右事実を認定するに足りる証拠はない。したがって、米山の土地の売渡価格は、前記契約書のとおり金八四〇万円であると認定するのが相当である。

6、雑収入金額

原告が昭和三九年一一月一二日市原建設株式会社に対し、大分市大字大分字菜ノ本二六四六番三田四一五・五坪の一部を代金三四四万六〇〇〇円で売渡したことは当事者間に争いがなく(被告別表三番号欄(13)記載の取引)、原告が、右土地売買に関して、市原建設株式会社から、代金を含めて三四八万五六〇九円の支払を受けたことは、原告において明らかに争わないので自白したものとみなされる。被告は、右支払額と代金との差額三万九六〇九円は代金に対する遅延損害金であると主張するが、売買代金に対する遅延損害金は、特段の事情のない以上、単に代金債務の履行が遅滞しただけで収入されることが確実になる債権であるということができず、それだけではいまだ確定的な履行期が到来せず、その金額も確定しているとはいえないから、現実に支払われてはじめて課税の対象となるべき所得を構成するものと解するのが相当である。ところが、被告主張の差額が昭和三九年中に支払われたことの主張、立証はない。したがって、右の差額収入が原告の昭和三九年分所得にあたるという被告の主張は、採用することができない。

7、以上によれば、1ないし5の売渡代金は合計六七六九万四九〇〇円であり、同額が、事業所得計算上の総収入金額となる。

二、総収入金額から控除される必要経費

1、売上原価

(一) 取得価格

被告別表三番号欄(1)ないし(16)記載の各土地の取得価格が被告主張のとおりであることは当事者間に争いがなく、同(17)記載の土地の取得価格は、前記のとおり六六〇万円であったと認めることができる。右取得価格は、合計四五三二万五五一〇円になる。

(二) 取得経費

被告別表三番号欄(1)(2)(4)(7)(10)(11)(13)ないし(15)記載の各土地の取得経費が被告主張のとおりであること、同(5)(6)(8)(9)(12)(16)記載の各土地の取得経費が、後記支払利息の点を除くと、それぞれ六万二三四〇円、一一万五〇二〇円、二三万一六二〇円、七万〇五〇〇円、八一二〇円、〇円であることは、当事者間に争いがない。その金額は、合計一一七万八一八五円である。

同(17)記載の土地の取得経費は、被告は取得価格の三パーセントである一九万八〇〇〇円と推定しているが、これは、前記認定事実に基づき明治開発の仲介手数料相当額として計上しているものと認められるから右手数料は前記知事の定めた限度額によるべきであり、これによって計算すると、その金額は二六万八〇〇〇円となり、前記認定事実によれば、同額を取得経費と認めるのが相当である。

被告別表三番号欄(3)記載の土地の取得経費について、原告は合計一四万三八三六円と主張する(別紙「原告の主張」添付別表「譲渡所得主張金額及び証拠との関係」その3)のに対し、被告は六万七七四六円であると主張するので検討する。右土地は、原告が西村重則から代金合計九五六万六一〇〇円で買受けた土地(合計八六六・〇一坪、以下西村の土地という。)の一部でそのうち右(3)の土地部分の取得価格が二二〇万〇六六〇円になることは当事者間に争いがないので、原・被告とも主張するように、西村の土地八六六・〇一坪の取得経費の「九五六万六一〇〇分の二二〇万〇六六〇」が(3)の土地の取得経費に該当するというのが相当である。そこで、原告の前記別表に記載されている順序で、被告の否認する費自について順次検討する。

(イ) 昭和三六年四月一〇日 一五万円

前記乙第一一号証、原告本人尋問の結果(第二回)によれば、原告と西村との売買は原清次郎が原告の代理人として契約し、井村屋不動産塔鼻義則が仲介業者として立会ったことを認定することができ、右認定を覆えすに足りる証拠はない。しかして、原告は、三和不動産原清次郎及び井村屋不動産秋吉司共同作成の昭和三六年四月一〇日付宛白地の一五万円の受領証(原告本人尋問の結果(第二回)により真正に成立したものと認められる甲第五号証の一の六)を所持しているところ、原告本人尋問の結果(第二回)のうち、秋吉司は塔鼻義則らとともに井村屋不動産の業務に従事していたものであり、右支払は、原告が前記売買の仲介手数料として成立に争いのない甲第五号証の一の一の支払とは別に支払ったものであるという趣旨の部分は、甲第五号証の一の一の表示する支払がその記載からして売買手数料の内金として支払われたものであると認められること、甲第五号証の一の六の表示する支払が乙第一一号証によって認められる西村重則に対する残代金支払期日である昭和三六年四月一〇日と同日になされたものであることに照らすと、採用に価するものである。そうすると、右支払は西村の土地取得経費に該当するというべきである。

(ロ) 昭和三六年五月一〇日 一〇万円

原告本人尋問の結果(第一回)により真正に成立したものと認められる甲第五号証の一の八及び右本人尋問の結果によれば、原告は、大橋智、原清次郎共同作成の昭和三六年五月一〇日付宛先白地の一〇万円の領収書を所持しているところ、右本人尋問の結果のうち、大橋智は原清次郎と三和不動産を共同経営していたものであり、右支払は甲第五号証の一の一及び同号証の一の六とは別に前記売買の仲介手数料として支払ったものである趣旨の部分は反証がないので排斥することができない。したがって、右支払は、前記取得経費に該当する。

(ハ) 昭和三六年二月四日 四九三四円

原告本人尋問の結果(第二回)によれば、原告は、三和不動産を通じて西村の土地などの実測を建築士改直記に依頼し、三和不動産の和田が右費用四九三四円を改に支払い、原告は同額を三和不動産の大橋智に支払ったが、右実測により一一二〇坪の結果が得られ、その間の計算、領収関係書面が右本人尋問の結果により真正に成立したものと認められる甲第五号証の一の二であるというのであるが、これを排斥すべき証拠はない。そうすると、四九三四円の「一一二〇分の八六六・〇一」である三八一五円が西村の土地の取得時の実測に要した費用でその取得経費に該当するというべきである。

(ニ) 昭和三六年九月一八日 二万二八〇〇円

原告本人尋問の結果(第二回)のうちには、原告は、西村の知合いであった後藤俊次(不動産業者ではない。)に対し、側面から西村に対し前記西村の土地の売渡に応ずるよう世話してほしいと依頼しておいたところ、後藤は西村とその件で会食し、のちにその旨の手紙が来たので自発的にその費用相当額二万二八〇〇円を後藤に送金し、その書留郵便物受領証が成立に争いのない甲第五号証の一の九であるという部分がある。しかし、後藤は不動産業者ではないし、報酬等の支払約定もなかったのに、後藤から会食の費用まで知らせる手紙が来たこと、しかも原告が西村の土地を買受けたのは昭和三六年二月一日であるから、送金まであまりに期間がありすぎ、右本人尋問の結果は不自然で直ちに採用しがたい。したがって、右送金分を取得経費と認めることはできない。

(ホ) 昭和三六年一一月一〇日 七九〇〇円

原告本人尋問の結果(第二回)により真正に成立したものと認められる中第五号証の一の一一は、右本人尋問の結果によっても西村の土地取得に関連して支払われた費用の精算書であるかどうかあいまいであり、証人緒方茂三の証言により真正に成立したものと認められる乙第一一四号証の一ないし一一(特に九)に照らすと、右土地の取得経費と認めることができない。

(ヘ) 昭和三六年一二月二〇日 二三〇〇円

原告本人尋問の結果(第二回)によれば、成立に争いのない甲第五号証の一の一三の領

(ト) 昭和三八年一月三一日 五七四〇円

原告本人尋問の結果(第二回)により真正に成立したものと認められる甲第五号証の一の一五による支払は、右本人尋問の結果によっても西村の土地取得と関係があるものと認めることができず、右支払の日と右土地取得の日から考えても、右取得経費と認めることができない。

(チ) 昭和三八年四月一九日 四三〇〇円

前記乙第一一四号証の一ないし一一(特に一一)、成立争いのない甲第五号証の一の一六、原告本人尋問の結果(第二回)によれば、原告は昭和三八年四月一九日改直記に対し、西村の土地(四筆全部か一部であるか明らかでない。)の地目変更費用として四三〇〇円を支払ったこと、原告は昭和三八年中に右土地の一部を岩本正夫に売渡したが、右地目変更費用は、原告の昭和三八年分所得税の調査において岩本正夫に売却した土地の販売費用であると認められ、同年分確定申告に対してなされた被告の更正処分において原告の総収入金額から控除されたことを認めることができ、右認定を覆えすに足りる証拠はない。ところが、成立に争いのない甲第一号証の一、乙第三八号証の一・二によれば、右更正処分はその後原告の審査請求に基づく裁決において全部取消されたものであること、原告の確定申告は、右譲渡による所得を譲渡所得として申告したものであるが、更正処分においてはこれが事業所得に該当するものとされ、裁決においてもそのこと自体は肯定的に維持されたものであることを認定することができ、右認定を覆えすに足りる証拠はないところ、原告本人尋問の結果(第二回)のうちには、原告は右の経緯により結局昭和三八年度は原告の申告どおりの納税をしたものであり、原告の申告においては改直記に支払った費用を経費に計上していなかったから、昭和三八年分所得の計上右費用は考慮されていないという部分がある。

しかし、譲渡所得の確定申告であっても、右費用は旧所得税法九条一項八号により控除されるべき経費に該当するものであるところ、前記のとおり、右費用は被告の調査対象とされ更正処分で必要経費として認容されているのであるから、たとえ原告が譲渡所得としての確定申告をしたものであっても、右確定申告上原告がこれを経費に計上しなかったとは考え難いのであって、前記本人尋問の結果はたやすく採用することができない。したがつて、前記費用は、昭和三九年分所得の計算上必要経費として控除することはできない。

(リ) 昭和三八年五月一日 一万円

同年同月二日 三〇四〇円

同年六月三〇日 三五〇〇円

同年六月八日 五〇〇円

前記乙第一一号証の一ないし一一、成立に争いのない甲第五号証の一の一七ないし二〇、原告本人尋問の結果(第二回)によれば、原告は、西村の土地の一部を岩本正夫に売渡し所有権移転登記をするにあたり、前所有者で登記簿上の所有名義人の一人であつた佐藤キヌが既に死亡していたため、右相続関係の手続費用及び固定資産税等の一部として、同人の子である佐藤文夫に対し、昭和三八年五月一日一万円を支払つたこと、昭和三八年五月二日司法書士首藤次郎に対し、西村の土地に関する登記簿閲覧等の費用として三〇四〇円を支払つたこと、昭和三八年六月改直記に対し、西村の土地に関して(昭和三八年四月一九日の支払いとの関係で、全部か一部か明らかでない。)地目変更手続費用として三五〇〇円を支払つたこと、昭和三八年六月一八日土地家屋調査士首藤明生に対し、西村の土地に関して字図作成費用五〇〇円を支払つたこと、しかし、以上の費用も、前記昭和三八年分所得税の調査において岩本正夫への譲渡の費用として認容されていることを認定することができ、右認定を覆えすに足りる証拠はない。そして、(チ)と同じ理由により、右各費用は結局原告の昭和三八年度分所得計算上経費として控除されなかつたものであるという原告本人尋問の結果部分は採用しがたいので、右各費用は、昭和三九年分所得の計算上経費として控除することはできない。

(ヌ) 昭和三八年五月二日 一三万五〇〇〇円

前記乙第一一五号証、原告本人尋問の結果(第二回)により真正に成立したものと認められる甲第五号証の一の二二、二三、右本人尋問の結果によれば、原告は、昭和三八年五月二日秋吉司に対し、一三万五〇〇〇円を預けたか、右金員のうち一二万九五四〇円が、西村の土地のうち被告別表三番号欄(3)記載の土地及び別府市大字南石垣字浜田九五四番の土地の佐藤文夫から原告への所有権移転登記申請の登録税に使用されたことを認めることができ、右認定を覆えすに足りる証拠はなく、前記預け金の残金五四六〇円がどのようになされたかを確認するに足りる証拠はない。しかして、被告は、右一二万九五四〇円の前記「九五六万六六一〇分の二二〇万〇六六〇」が右(3)の土地の取得経費となる旨主張するが、前記のとおり一二万九五四〇円は西村の土地四筆のうち二筆について支出されたものであることを確認できるのであるから、右二筆の按分計算上の取得価格(前記乙第一〇五号証)である七五五万八五〇〇円を基準とすべきであり、したがつて、一二万九五四〇円の「七五五万八五〇〇分の二二〇万〇六六〇」である三万七七一六円が被告別表三番号欄(3)記載の土地に関する経費にあたるというべきである。

(ル) 昭和三六年一二月一日 二三〇〇円

成立に争いのない甲第五号証の一の一二、原告本人尋問の結果(第二回)によれば、原告は、昭和三六年一二月一日改直記に対し、西村の土地(全部か一部か明らかでない。)に関して農地法五条の許可申請手続費用等として二三〇〇円を支払つたことを認定することができ、右認定を覆えすに足りる証拠はないので、右支出は、右土地の取得経費にあたると認められる。

(オ) 昭和三八年四月一五日 四五九〇円

弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる甲第五号証の一の一〇の表示する支払いは、これが西村の土地の取得に関連して支出されたものであることを認めるに足りる証拠がない。

(ワ) 昭和三八年九月一八日 四二八〇円

成立に争いのない甲第五号証の一の二一の表示する支払いについても、これが西村の土地の取得に関連して支出されたものであることを認定するに足りる証拠はない。

(カ) 以上によれば、右(イ)(ロ)(ハ)(ル)の合計二五万六一一五円及び当事者間に争いのない一六万三七三五円(昭和三六年二月三日一五万円、同年同月二二日二一二〇円、同年四月一〇日五五六〇円、同日三〇六〇円、同年同月二六日一八七〇円、同年同月九日一一二五円)の合計四一万九八五〇円の前記「九五六万一一〇〇分の二二〇万〇六六〇」である九万六六三六円に前記(ヌ)の三万七七一六円を加えた一三万四三五二円が被告別表三番号欄(3)記載の土地の売上・原価に算入される取得経費になる。

以上の取得経費の総計は一五八万〇五三七円である。

2、資産を買入れた日から昭和三八年一二月三一日までの利息について

原告は、被告別表三番号欄(5)(6)(8)(9)(12)(16)記載の各土地について、いずれも買受代金は借入金によつて支払われたものであるとし、買受代金支払の日から昭和三八年一二月三一日までの右支払代金に対する日歩二・八銭の割合により計算した利息((5)の土地について三七万九六三八円、(6)の土地について二三八〇円、(8)の土地について二一万七七〇〇円、(9)の土地について四六二〇円、(12)の土地について三万三二九二円、(16)の土地について四一一六円の合計六四万一七四六円)が右借入金に対する利息となり、右各利息は、右各土地の取得価格に加えられるべきであると主張する。

販売用資産の購入に要した負債利息は、これを旧所得税法一〇条二項にいう仕入品の原価に含めるとしても、あるいは同条同項の期間経費としての負債の利子に計上するとしても、いずれかの年度において同法九条一項四号により総収入金額から控除される項目として計上されるべきものであるところ、旧所得税法及び同法施行規制を検討しても、これらの法令の文言からは、右利息を仕入品の原価に含めて控除することを禁止するものと断定するに足りるだけの条項は存在せず、かつ、これらの仕入品の原価、経費等の概念は本来企業会計上の概念であるから、納税者が販売用資産の購入に要した借入金の利息を取得価格に含める会計処理を選択したとしても、それが公正妥当な会計処理に反するものといえない以上は、所得税法上あえてこれを否認しなければならないとするだけの根拠はないものと考えられる。しかして、このような立場が企業会計処理上も税法の解釈上も許容され得るものであることは、たとえば企業会計原則と関係諸法令との調整に関する連続意見書第四(昭和三七年八月七日大蔵省企業会計審議会中間報告)の第一の五、一(購入に要した負債利子等は取得原価に含めないことを建前とすべきであるとする。)、昭和三五年二月二日付国税長官通達直所一-一一(たな卸資産の購入のため要した借入金等の利子は原則として取得価額に算入しないことに取扱うとされている。)、現行所得税法基本通達四七-二一の昭和四九年直所二-二三による改正前(たな卸資産の取得のために要した借入金の利子は、たな卸資産の取得価額に算入しないことができるとする。)及び改正後(同じ利子について、たな卸資産の取得価額に算入することができるとする。)によつても明らかなところである。

しかし、本件にあつては、原告主張の前記各土地について、その取得のためどれだけの金額を支払つたものであるかについて、具体的な主張は何らなされていないのであつて、本件証拠上においても、継続的帳簿録等によつてこれらが区分計算できるように会計処理されているものと認めるべき資料がないのみならず、前記各土地がはたして借入金によつて取得されたものであるかどうかの点についても、これを確認するに足りる的確な証拠は存在しないのである。そうだとすると、その余の点を判断するまでもなく、被告が原告主張の前記昭和三八年一二月三一日までの利息を否認したことは、相当であるといわなければならない。

3、昭和三九年分の必要経費に算入される支払利息

原告は、昭和三九年度分の事業所得の計算上必要経費に算入される支払利息(手数料、印紙代等の付帯費用を含む。)は担保設定費用も含めて一〇〇〇万六八六一円であると主張する(別紙「原告の主張」添付別表「事業所得主張金額及び証拠との関連」(その6)及び原告本人尋問の結果(第二回)により真正に成立したものと認められる甲第四二号証によつて最終的に訂正されたもの。)のに対し、被告は、必要経費として算入される支払利息は七七八万〇五〇三円であると主張するので検討する。

(西日本相互銀行大分支店分)

原告が、西日本相互銀行大分支店に対する借入金債務について、別紙「被告の主張」添付別表四。(表四という。)の(一)ないし(七)の(14)ないし(56)、(133)ないし(146)の各<イ>欄に支払つたことは当事者間に争いがなく五五九万七六八九円になる。被告は、右支払利息のうちつぎの利息部分が右必要経費となることを否認するほかは、その余の支払利息が必要経費となることについて当事者間に争いがない。

(1) 二三万七六〇〇円(前記番号(14)の<ネ>欄)

証人緒方茂三の証言により真正に成立したものと認められる乙第一〇一号証の三と弁論の全趣旨によれば、番号(14)の一二二万〇四〇〇円は、元本四〇〇〇万円に対する昭和三八年一二月一〇日以降同三九年三月三一日までの一一三日間(番号(14)<ト>欄に一〇七日とあるは誤り。)日歩二・七銭の割合による利息であると認められ、右認定を覆えすに足りる証拠はない。しかし、一般経費としての借入金の利息は、事業収入期間に対応する期間内に利息債務が発生した分に限つて当該期間の必要経費に計上することができるものと解すべきである。したがつて、利息債務の弁済期日について特段の主張、立証のない限り、右利息のうち昭和三八年一二月一〇日以降同年一二月三一日までの二二日間の利息二三万七六〇〇円は、昭和三九年度分の必要経費に該当しない。

(2) 四万四六六九円(前記番号(15)の<ネ>欄)

(3) 七万九一八六円(同(55)の<ネ>欄)

(4) 二八万〇〇九八円(同(56)の<ネ>欄)

(5) 一万二六七五円(同(146)の<ネ>欄)

前記乙第一〇一号証の三、証人緒方茂三の証言により真正に成立したものと認められる同第一〇〇号証の二、四、六、弁論の全趣旨によれば、番号(15)の二二万九四三五円は、元本一一二八万円に対する昭和三八年一二月一〇日以降同三九年三月三一日までの一一三日間日歩一・八銭の割合による利息であり、そのうち昭和三八年一二月三一日までの二二日間の利息は四万四六六九円であること、番号(55)の八万一二一六円は、元本一一二八万円に対する昭和三九年一二月三一日以降同四〇年二月八日までの四〇日間日歩一・八銭の割合による利息であり、そのうち昭和四〇年一月一日以降の三九日間の利息は七万九一八六円であること、番号(56)の二八万七二八〇円は、元本二六六〇万円に対する昭和三九年一二月三一日以降同四〇年二月八日までの四〇日間日歩二・七銭の割合による利息であり、そのうち昭和四〇年一月一日以降の三九日間の利息は二八万〇〇九八円であること、番号(146)の一万三〇〇〇円は、元本一二五万万円に対する昭和三九年一二月三一日以降同四〇年二月八日までの四〇日間日歩二・六銭の割合による利息であり、そのうち昭和四〇年一月一日以降の三九日間の利息は一万二六七五円であることを認定することができ、右認定を覆えすに足りる証拠はない。そうすると、(1)と同じ理由で、右(2)ないし(5)の部分は、昭和三九年分必要経費に該当しない。

以上によれば、西日本相互銀行分五五九万七六八九円のうち(1)ないし(5)の合計六五万四二二八円を控除した四九四万三四六一円が昭和三九年度分必要経費に該当する。

(大分県信用組合分)

原告が被告別表四の(三)(四)番号欄(67)ないし(74)の各<イ>欄記載のとおり合計九〇万四二五〇円の利息を大分県信用組合に支払い、右利息のうち一万一二〇〇円を除く利息が前記必要経費に該当することは当事者間に争いがない。前記乙第一〇〇号証の六、証人緒方茂三の証言により真正に成立したものと認められる同第一〇〇号証の五、弁論の全趣旨によれば、番号(74)の一八万四〇五〇円は元本八〇万円に対する少なくとも昭和四〇年一月一日以降同月四日までの四日間日歩三・五銭の割合による利息を含むものと認めることができ、右認定を覆えすに足りる証拠はないので、前記理由により、右部分の利息一万一二〇〇円は昭和三九年分の必要経費に該当しない。したがつて、大分県信用組合分については、八九万三〇五〇円が右必要経費となる。

(大分銀行分)

原告が被告別表四の(四)(五)番号欄(91)ないし(101)の各欄記載のとおり合計六万九〇八三円を利息等として大分銀行に支払い、右のうち一二六〇円を除く部分が前記必要経費に該当することは当事者間に争いがない。成立に争いのない甲第一三号証の七の九によれば、番号(101)の八七三〇円は元本五〇万円に対する昭和四〇年一月一日以降同年同月九日までの日歩二・八銭の割合による利息部分を含むものと認められ右認定を覆えすに足りる証拠はないから、右部分の利息一二六〇円は、昭和三九年分必要経費に該当しない。したがつて、前記銀行分については、六万七八二三円が前記必要経費に該当する。

(旭融資株式会社・原告名義分)

原告が、被告別表四の(五)番号欄(103)ないし(114)の各<イ>欄記載のとおり合計七二万四〇〇〇円を利息等として旭融資株式会社に支払つたことは当事者間に争いがなく、前記甲第四二号証、成立に争いのない乙第一一七号証の一ないし三、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる甲第一三号証の八の二五、第四〇号証の一ないし三、証人緒方茂三の証言により真正に成立したものと認められる乙第一一八号証の一・二、原告本人尋問の結果(第一回)によれば、原告は、昭和三八年一二月一二日及び昭和三九年中に、右争いのない利息の他に、合計四〇万五〇〇〇円を旭融資に対し借入金の利息として支払つたことを認定することができ、右認定を覆えすに足りる証拠はない。前記甲第四〇号証の二(乙第一一七号証の二)によれば、昭和三八年一二月一二日支払の六万七五〇〇円は、元本一五〇万に対する昭和三八年一二月一二日以降同三九年一月一〇日までの日歩一五銭の割合による利息であることを認定することができるので、右利息のうち昭和三八年一二月三一日までの分四万五〇〇〇円は昭和三九年分利息に該当しない。前記甲第四〇号証の三(乙第一一七号証の三)によれば、昭和三九年一二月三日支払の一一万七〇〇〇円は、元本二六〇万に対する昭和三九年一二月三日以降同四〇年一月一日までの日歩一五銭の割合による利息であることを認定することができるので、そのうち一日分三九〇〇円は昭和三九年分経費に該当しない。右書証によれば、昭和三九年一二月三〇日支払いの一一万七〇〇〇円は、元本二六〇万円に対する昭和四〇年一月二日以降同年一月三〇日までの右割合による利息であることを認定することができるので、全額昭和三九年分経費に該当しない。

以上によれば、前記利息合計一一二万九〇〇〇円から右の非該当部分合計一六万五九〇〇円を控除した九六万三一〇〇円が昭和三九年分必要経費に該当する利息である。

(旭融資株式会社・小野寿銅機株式会社小野寿市名義分)

原告本人尋問の結果(第一、二回)により真正に成立したものと認められる甲第一三号証の八の二、三、六、七、九、一一、一二、一五、一八、一九、二二、二四、第四一号証の一ないし五によれば、旭融資か小野寿銅機株式会社小野寿市名義に貸金の利息として、同名義で、前記第甲四二号証の一五枚目ないし一九枚目の各支払日欄記載の日に同金額欄記載の金員が、同利率及び期間欄記載の利率及び期間計算に基づいて支払われ、その金額は合計一四八万三〇〇〇円であることを認定することができ、右認定を覆えすに足りる証拠はないところ、原告本人尋問の結果(第一、二回)のうちには、右借入金は、原告が小野寿銅機株式会社小野寿市の名義を借用して借受けたものであり、右利息もすべて原告が支払つた旨の部分がある。しかして、右本人尋問の結果のうち、原告は、原告の信用が十分でなかつたため旭融資と付合いの深かつた小野寿市(小野寿銅機株式会社の代表取締役)に依頼して名義を借用したものである旨の部分は、一般的にはあり得ない理由ではなく、前記甲第一三号証の八の各枝番のとおり右利息の計算書のうち半数程度及び利息支払の領収書二通を原告が所持していること、右領収書の一通には「葛城啓三様分」という記載があること、前記甲第四一号証の一ないし五によれば右借入には原告又は原告及び原告の妻が連帯債務者となつていることが認められることなどは、前記本人尋問の結果を補強するものということができる。

被告の主張するように、右本人尋問の結果には、疑問な点もある。すなわち、証人緒方茂三の証言により真正に成立したものと認められる乙第一一九号証の一ないし三によれば、小野寿銅機株式会社は、遅くとも昭和三九年前期から極度に資金繰が悪化し高利の借入をしながら当場の手形決済をしてしのいでいた状態にあり、昭和四〇年六月三〇日には不渡手形を出して倒産していることを認定することができ、右認定を覆えすに足りる証拠はない。旭融資の貸付利率は日歩一五銭ないし二〇銭という高利であるから、小野寿銅機株式会社が右の事情で旭融資を利用していたと考えられなくもなく、少なくとも、原告より小野寿銅機株式会社側により信用があつたとの点については、相当の疑問がある。つぎに、前記甲第四一号証の五、原告本人尋問の結果(第二回)によれば、小野寿銅機株式会社小野寿市名義の借入には相島俊彦が連帯債務者(又は保証人)となつているものがあるが、原告は同人とは面識がないことを認定することができ右認定を覆えすに足りる証拠はない。原告本人尋問の結果(第二回)のうちには、借入交渉すべてを小野寿市側がしてくれたのでそのようになつた旨の部分があるか、十分に説得的ではない。さらに、前記甲第四一号証の三(乙第一一七号証の九)、乙第一一七号証の一二、原告本人尋問の結果(第二回)によれば、小野寿銅機株式会社小野寿市名義の昭和三九年四月三〇日借入金二〇〇万円は、同年七月九日住金物産株式会社小倉支店長緒方八郎太振出の小切手により返済されたか、住金物産は小野寿銅機株式会社の親会社であり同会社に資金援助をしていたものであることを認定することができ右認定を覆えすに足りる証拠はない。したがつて、右小切手による返済は、小野寿銅機株式会社が真実の借主であることを前提とすると容易に理解できる。原告本人尋問の結果(第二回)のうちには、原告は、昭和三六年頃以前に前記酒造業を経営していた当時から金銭を借りたり貸したりしており、昭和三九年当時右貸金残額が相当残つていたこと、小野寿銅機株式会社が住金物産から土地を買戻す資金を貸したこともあり、それらの返済として原告が小野寿銅機株式会社から前記小切手を受取りこれを前記弁済に供したものであることを強調する部分がある。右本人尋問の結果も、具体的な裏付証拠がないので、必ずしも十分納得のゆく説明とはいい難い。

しかし、以上のような疑問点に関する前記原告本人尋問の結果も、それなりにあり得ないことばかりではないのであり、前記のように原告が借主であることを裏付ける証拠もあり、とりわけ原告が半数程度の計算書等を所持していることは有力な資料であるから、旭融資、住金物産、小野寿銅機株式会社等の関係者に対する直接的な反面調査の結果が不明であり、本件証拠上もこの方面から確認するべき資料が存在しない以上、前記原告本人尋問の結果を直ちに排斥することはできない。そうだとすると、右本人尋問の結果のうち、右借入金は原告が借用したものでほとんど全部不動産業経営のための土地取得及び銀行等他の借入金の利息支払にあてられた旨の部分は排斥できないので、右借入金利息は、原告の不動産業経営のための経費に該当するというべきである。

しかし、前記甲第一三号証の八の二四、第四〇号証の一によれば、昭和三八年一二月一一日支払の六万八五〇〇円のうちには、昭和三八年一二月末日までの二一日間日歩一五銭の割合による利息四万七二五〇円を含むことが認められ、右認定を覆えすに足りる証拠はない。前記甲第四一号証の五によれば、昭和三九年一二月三〇日支払の一一万二五〇〇円には昭和四〇年一月一日以降同月二五日までの二五日間日歩一五銭の割合による利息九万三七五〇円を含むことが認められ、右認定を覆えすに足りる証拠はない。右甲第四一号証の五によれば、昭和四〇年一月二五日、二月二七日、三月三〇日支払の合計三一万八七五〇円は、昭和四〇年一月二六日以降の期間の利息であると認められ、右認定を覆えすに足りる証拠はない。したがつて、前記利息一四八万三〇〇〇円のうち昭和三九年分必要経費に該当する部分は、四五万九七五〇円を控除した残金一〇二万三二五〇円である。

(府内信用金庫分)

原告が被告別表四の(三)番号欄(64)(65)の各<イ>欄記載のとおり合計二万〇四〇〇円の利息を府内信用金庫に支払い、右利息のうち五五二〇円を除く利息が昭和三九年分必要経費に該当することは当事者間に争いがない。番号欄(64)の一万二七二〇円は、元本八〇万円に対する昭和三八年一二月九日以降同四〇年一月三〇日まで日歩三銭の割合の計算による利息であることは当事者間に争いがないので、そのうち昭和三八年一二月三一日までの分五五二〇円は、右必要経費に該当しない。したがつて、一万四八八〇円が右必要経費に該当する。

(その他の利息)

原告が、別府信用金庫、大分信用金庫、豊和相互銀行大分支店に対し、被告別表四の(三)の(58)ないし(62)、同(四)の(76)ないし(86)、(88)の各<イ>欄記載のとおり合計一二三万〇六四九円の借入金利息を支払い、右利息が昭和三九年分必要経費に該当することは、当事者間に争いがない。

(担保設定費用)

弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる甲第一三号証の九の一・二及び弁論の全趣旨によれば、原告は、昭和三九年中に、不動産事業の用に供する借入金について不動産担保を設定し、その費用として司法書士堤末彦に対し合計二万六五四〇円を支払つたことを認定することができ、右認定を覆えすに足りる証拠はないので、右支払は、昭和三九年分の必要経費に該当するというべきである。

(まとめ)

以上のとおりであるから、昭和三九年分の必要経費に算入される支払利息等は、合計九一六万二七五三円である。

4、売渡経費

被告別表三番号欄(1)ないし(4)、(6)ないし(14)、(16)記載の各土地の売渡経費が同表<コ>欄記載のとおり合計一四九万二六九二円であることは、当事者間に争いがない。

被告別表三番号欄(5)記載の土地の売渡経費についてみるに、右経費のうち、八万六四九四円については当事者間に争いがないが、これを超えた二〇万三〇〇〇円の部分については争いがあるのでこれを検討するに、まず、甲第六号証の四の領収証は原告本人尋問の結果(第二回)によつて真正に成立したものと認められるところ、右本人尋問の結果のうち、原告は右土地を藤巻春子に売却するについて木村屋不動産商事にも仲介を依頼し、その仲介手数料として木村屋不動産商事と共同で仕事をしていた亀屋不動産商事に右領収証の五万四〇〇〇円を支払つたという部分は、その反証がなく、右領収証の記載内容(亀川土地売却世話料の一部とされているが、昭和三九年七月前後には前記土地以外に別府市亀川所在の土地について売買がなされたことを認定するに足りる証拠がない。)に照らしても、右本人尋問の結果を排斥することはできない。つぎに、甲第六号証の七の領収証については、その但書部分以外は原告本人尋問の結果(第二回)と弁論の全趣旨により昭和地所株式会社の意思に基づいて成立したことが認められるか、右但書の書込部分は、同会社が作成したものと認めるだけの証拠がなく(前記乙第一三号証の一・二などの筆跡と対照すると原告が書込んだものと疑われる。)、証人藤巻春子の証言に照らすと、原告が右領収証の一四万九〇〇〇円の支払をなしたものと認めるべき的確な証拠とはなし難い。のみならず、この点に関する右本人尋問の結果部分は、要するに、藤巻春子が昭和地所株式会社に対して負担する仲介報酬支払債務について、原告が藤巻春子の依頼により立替払をなし、その後同人の要請により右立替金返還債権を放棄したというのであつて、ただそれだけでは、右債権の喪失額をもつて原告の不動産業経営に必要な経費に該当するということはできない。したがつて、前記土地の売渡経費は、前記五万四〇〇〇円と、当事者間に争いのないその余の八万六四九四円を合わせた一四万〇四九四円となる。

被告別表三番号欄(15)記載の土地の売渡経費は、被告が五万八四〇〇円と主張するのに対し、原告は五万一一〇〇円と主張しているので、この点に鑑み五万一一〇〇円と認定するのが相当である。

以上によれば、被告別表三番号(1)ないし(17)記載の土地の売渡経費は、合計一六八万四二八八円になる。

5、自動車税

原告が支払つた自動車税について、八一一〇円が昭和三九年分必要経費に該当することは被告の認めるところである。原告は、右自動車税として二万円を原告が支払つたと主張するが、右事実を認定するに足りる証拠はなく、証人小田部倹の証言により真正に成立したものと認められる乙第四四号証の一と弁論の全趣旨によれば、原告は、被告の調査時に自動車税として昭和三九年一〇月三〇日八一一〇円を支払つたと申出ていたことを認定することができ、右認定を覆えすに足りる証拠はないので、採用できない。ただし、右乙第四四号証の一と弁論の全趣旨によれば、右八一一〇円の経費は、昭和三九年分経費として控除されるべきことについて当事者間に争いのない後記の雑費三万五〇七〇円に含まれることが明らかであるから、右雑費のほか重ねてこれを経費として控除することはできない。

6、接待交際費、出張旅費

原告本人尋問の結果(第一、二回)と弁論の全趣旨によれば、原告は、昭和三九年分まで事業所得の確定申告をしていなかつたため事業所得計算上の一般経費となるべき支出について証拠資料の保存が完全でなかつたこと、しかし、昭和三九年においても、不動産業経営のため接待交際費、出張旅費を要したこと、昭和四〇年分確定申告においては、接待交際費一一万五四二七円、出張旅費一九万七四九〇円を経費として計算し被告もこれを否認していないことを認定することができ、右認定を覆えすに足りる証拠はない。右事実によれば、昭和三九年分接待交際費、出張旅費が昭和四〇年分におけるこれらの約一〇分の八(前者が九万二四〇〇円、後者が一五万八〇〇円)であるとする原告の主張は、これを不合理と認めるべき証拠がないので、採用するべきである。そうすると、これらの経費は、合計二五万〇四〇〇円になる。

7、郵便切手代

弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる甲第一四号証の四及び弁論の全趣旨によれば、原告は、昭和三九年四月三日郵便切手購入代金一二一円を支払つたことを認定することができ、特段の反証はないので、右支払いは、原告主張のとおり昭和三九年分不動産経営の必要上支払われた経費と認めるのが相当である。

8、新聞、電力、ガス、水道各料金

原告本人尋問の結果(第一、二回)と弁論の全趣旨によれば、原告は、前記6認定のように領収証等の資料は存在しないが、昭和三九年においても不動産業経営のための経費として新聞、電力、ガス、水道の各料金支払を要したこと、昭和四〇年分確定申告においては、新聞料金四九二〇円、電力料金三万一五九一円、ガス料金一万三二一六円、水道料金三一五九円を経費として計算し、被告はこれを否認していないことを認定することができ、右認定を覆えすに足りる証拠はない。右事実によれば、昭和三九年分のこれらの経費が昭和四〇年分の約一〇分の八(順次三五〇〇円、二万五三〇〇円、一万〇六〇〇円、二五〇〇円)であるとする原告の主張は、これを不合理とする証拠がないので採用するべきであり、これらの経費は合計四万一九〇〇円になる。

9、自動車保険料、文具代、ガレージ賃借料

原告が自動車保険料二万一五八〇円、文具代一三八〇円、ガレージ賃借料四〇〇〇円を支払い、これが昭和三九年分必要経費に該当することは、当事者間に争いがない。しかし、前記乙第四四号証の一と弁論の全趣旨によれば、右各経費は、昭和三九年分経費として控除されるべきことについて当事者間に争いのない後記の雑費三万五〇七〇円に全額含まれるものであることを認定することができ、右認定を覆えすに足りる証拠はないから、右雑費のほか重ねてこれらを控除することはできない。

10、その他の経費

電話料九万四〇五一円、自動車修理費二万一七〇〇円、燃料費九万一二九一円、雑費三万五〇七〇円、減価償却費一六万四三四〇円の合計四〇万六四五二円が昭和三九年分必要経費に該当することは、当事者間に争いがない。

三、まとめ

以上によれば、事業所得金額は、九二四万二九三九円である。

1、総収入金額(資産の売渡金額)六七六九万四九〇〇円

2、必要経費((一)+(二) 五八四五万一九六一円

(一) 売上原価((1)+(2)) 四六九〇万六〇四七円

(1) 資産の取得価格 四五三二万五五一〇円

(2) 取得経費 一五八万〇五三七円

(二) 経費((1)~(14)) 一一五四万五九一四円

(1) 売渡経費 一六八万四二八八円

(2) 接待交際費 九万二四〇〇円

(3) 出張旅費 一五万八〇〇〇円

(4) 郵便切手代 一二一円

(5) 新聞料金 三五〇〇円

(6) 電力料金 二万五三〇〇円

(7) ガス料金 一万〇六〇〇円

(8) 水道料金 二五〇〇円

(9) 電話料金 九万四〇五一円

(10) 自動車修理費 二万一七〇〇円

(11) 燃料費 九万一二九一円

(12) 雑費 三万五〇七〇円

(13) 減価償却費 一六万四三四〇円

(14) 借入金利息等 九一六万二七五三円

3、事業所得の金額(1-2) 九二四万二九三九円

第四、譲渡所得の金額

一、原告が、昭和三九年三月二日及び同年一〇月二二日に被告主張の「甲土地」(大分市大字上戸次字脇ノ津留四六九九番という。)を代金合計二〇〇万円で買受けたから、栗木の土地は、甲土地に対しては措置法三一条一項の代替資産となり、乙、丙両土地に対しては措置法三八条の六第一項の買換資産となり、したがつて、甲、乙、丙各土地の譲渡による所得には課税されないと主張する。しかして、原告が栗木の土地を原告主張の日、同主張の金額で買受けたことは、当事者間に争いがない。

三、甲土地関係

1、措置法三一条一項によれば、同条等にいう「資産」には旧所得税法一〇条の二第一項に規定するたな卸をなすべき資産を除くものとされており、その文言上、「収用等により譲渡された資産」に限らず、「これと同種の資産その他これに代るべき資産」(代替資産)という場合の資産も同様にたな卸資産が除かれるものと解するのが相当である。

そこで、本件についてこの点を検討するに、成立に争いのない乙第七二・七三号証、大字小池原字向原一八三七番地付近の図面であることに争いのない同第五二号証、証人小田部倹の証言と弁論の全趣旨により斜線部分が真正に成立したものと認められその余の部分は成立に争いのない同第五三号証、証人緒方茂三の証言により真正に成立したものと認められる同第七九号証、証人小田部倹、同岩元靖の各証言、原告本人尋問の結果(第一、二回)によれば、つぎの事実を認定することができる。

大分県においては、臨海工業地帯建設にともなつて予想される進出企業受入れなどのため大規模な住宅団地を建設する必要に迫られ、昭和三五年一〇月大分県開発公社が設立され、開発公社は、まず大分市内明野地区の住宅団地用地の買収に着手した。栗木の土地一帯は、右明野住宅団地の一画である。開発公社は、設立直後から栗木の土地付近の土地取得に努力し、昭和三六年二月には栗木の土地の隣接地を買取ることができたが、栗木の土地については、栗木セイと交渉したものの価格の折合いがつかなかつたため売買が成立しなかつた。その後、原告が前記のとおり栗木の土地を買受けたが、原告は、昭和四一年三月三〇日これを開発公社に売渡した。原告は、栗木の土地を買受けた当時、明野地区の土地が買収されつつあることを知つていた。

以上のように認定することができ、原告本人尋問の結果(第一、二回)のうち右認定に反する部分は採用できず、その他に右認定を覆えすに足りる証拠はない。

原告は栗木の土地を買受ける前から不動産業を経営していたこと前認定のとおりであり、かつ、前記のとおり、原告は、昭和三五年に明野地区内に広範囲の山林等を買受けており(前記第二の二、(6)、(一)記載の山林、原野)、明野地区の土地需要、開発計画等について極めて密接な利害を有していたものであると認められるから、このことと前記認定事実によれば、原告は、栗木の土地を取得した当時、開発公社が明野住宅団地用地としてその一帯を買収する予定を有し近い将来買収されるであろうことを知つていたと推認することができ、原告本人尋問の結果(第一、二回)のうち右認定に反する部分は、採用できない。しかして、不動産業者が公共用地として買収されることが予想される土地を取得した場合には、特段の事情のない以上転売の目的をもつて取得したものと認めるのが相当であるところ、不動産業者が販売目的で取得する土地は、措置法三一条一項で引用する旧所得税法一〇条の一項のたな卸をなすべき資産に該当するものというべきである。

成立に争いのない乙第九一号証における原告の供述及び原告本人尋問の結果(第一、二回)のうちには、原告は、栗木の土地を種苗育成地とする目的で買受け、現に昭和三九年一〇月中から同四〇年三月までの間右土地の一部に種苗を仮植していた旨の部分があり、証人牧東の証言のうちには右本人尋問の結果のうちの取得目的に副う部分がある。しかし、右証言はそれ自体明確性を欠き採用し難いし、右証言も、実際種苗育成地として使用されたことがある点までの裏付証拠となるものではなく、この点を具体的に確認するに足りる証拠は存在しない。かえつて、証人岩元靖の証言により真正に成立したものと認められる乙第八四号証、右証言、原告本人尋問の結果(第一、二回)によれば、昭和三五年頃以降原告所有山林の管理は主として矢坂善平、矢坂末喜らが引受けており、矢坂善平所有の田畑が種苗育成地として使用されていたが、同人は、原告が栗木の土地を取得したこと、矢坂善平所有地の他に栗木の土地のような種苗育成地があつたことについて何も知らないことを認定することができ、右認定を覆えすに足りる証拠はないので、右事実と前記認定事実によれば、前記原告本人尋問の結果部分は、採用することができない。

2、原告は、被告は本件更正処分及び異議棄却決定において甲土地の譲渡による所得は措置法三一条一項の適用により昭和三九年度においては課税されない旨認定判断していたし、本件訴訟上も、昭和四六年一一月二四日付準備書面(第一〇回)において主張を変更するまで同様の主張をしていたのであるから、その後に至り右所得が課税対象になるものと主張することは信義則ないし禁反言の法理に反し許されないと主張するので検討する。

成立に争いのない甲第一号証の二・三、証人小田部倹の証言によれば、被告は、甲土地について栗木の土地が措置法三一条一項の代替資産に該当するかどうかを現地に赴くなどして調査したが、その結果、右条項を適用することができると判断し、本件更正処分においては甲土地の譲渡による収入を課税対象から除外し、異議棄却決定においても、その理由中で、甲土地の譲渡による収入は「買換資産」があるため譲渡所得の課税対象から除外されることを述べていることを認定することができ、右認定を覆えすに足りる証拠はなく、被告が、昭和四五年二月二〇日の本件第一七回準備手続期日で陳述された同日付準備書面(第七回)に至るまで甲土地の譲渡にともなう所得を譲渡所得金額のうちに計上していなかつたが、昭和四六年一一月二四日の本件第四回口頭弁論期日で陳述された同日付準備書面(第一〇回)において右所得も課税対象になる旨主張を追加したものであることは本件の記録によつて明らかである。

しかし、更正処分取消訴訟においては、当該更正処分による課税標準又は税額が客観的に存在するか否かによつて当該処分の違法性が決せられるものであり、課税標準等を認定するための各種の所得の内容は単なる攻撃防禦方法にすぎないものと解される。したがつて、右取消訴訟において、課税庁たる被告が、更正処分の効力を維持するため、当該処分当時に認定した所得と異なる所得が存在することを主張し、あるいは、当該処分当時には当該年度の課税対象にならないものと判断した所得をその対象になるものと主張すること自体は、それが時機に遅れた主張でない以上は、許されるところである。そして、本件訴訟の経過からみると、被告が前記のとおり主張を追加したことは、いまだ時機に遅れたものとは認められない。

つぎに、信義則ないし禁反言の法則違反の主張については、これらの法則がどのような場合に租税法律関係に適用されるかは問題のあるところであるが、少なくとも、納税者が課税庁の表示した見解等を信頼し、その信頼に基づいて何らかの行為をなしたことが前提となるものと解される。すなわち、納税者がこのような行為に及んだ場合には、その行為の結果は、課税庁の見解等による取扱いを受けられるものと信頼したために生じたものであるから、右行為の結果に対して課税庁自らのちに異つた見解等のもとに納税者に対し不利益な取扱いをするときには信義則上の問題が生じ、当該不利益な取扱いをすることの当否がこの観点から検討されなければならないか、課税庁がただ更正処分当時の認定判断をのちに当該更正処分取消訴訟において訂正、変更するようなことは、すでに納税者独自の行為による結果として客観的に存在している課税標準を本来の形で呈示しようとすること以上に出ないのであるから、納税者が更正処分取消訴訟においても従前の認定、判断が不利益に変更されることはないであろうと信頼したとしても、右信頼は、租税法律関係の合法性の要請を犠牲にしてまで保護しなけれはならないような利害にかかわることとはいえないからである。前記認定事実によれば、被告のなした主張の変更は、右の後者の場合に該当する。したがつて、原告の前記主張は、採用することができない。

四、乙、丙土地関係

措置法三八条の六第一項が適用されるためには、買換資産取得の日から所定の期間内に買換資産を事業の用に供することが必要であるが、前記認定のとおり、原告本人尋問の結果(第一、二回)のうち、原告は栗木の土地を取得したのち原告の山林業の事業用種苗育成地として使用したとの部分は採用することができず、かえつて、栗木の土地は原告の不動産業のたな卸資産であると認められるのであるから、乙、丙各土地の譲渡については、同条項は適用されない。

五、原告本人尋問の結果と弁論の全趣旨によれば、甲、乙、丙各土地は、原告が昭和二七年一二月三一日以前から引続き所有していたものであると認定することができるから、右各土地の取得価格は、旧所得税法一〇条の五第三項、旧所得税法施行規則一二条の一九第一項、四項により、昭和二八年一月一日において相続税及び贈与税の課税標準の計算について用いるべきものとして国税庁長官が定めて公表した方法により計算した価額によるものであるが、右価額が甲土地五万五六〇八円、乙土地九三二〇円、丙土地八万七二四八円の合計一五万二一七六円であることは、原告において明らかに争わないので自白したものとみなされ、また、前記甲第三四、三五号証と弁論の全趣旨によれば、乙土地の譲渡経費は三四一五円、丙土地の譲渡経費は一万二四四五円であることを認定することができ、右認定を覆えすに足りる証拠はない。

六、以上によれば、原告の昭和三九年分総所得金額に算入される譲渡所得の金額は、甲、乙、丙各土地の譲渡代金である総収入金額一六六万三四八〇円から取得価額及び譲渡経費の合計一六万八〇三六円並びに譲渡所得等の特別控除額一五万円を控除した一二四万五四四四円の一〇分の五に相当する六七万二七二二円である。

第五、配当所得及び雑所得

原告の昭和三九年分配当所得の金額が五一万円であること、雑所得の金額が四万円であることは、当事者間に争いがない。

第六、結論

以上の次第で、原告の昭和三九年分総所得金額は、事業所得金額九二四万二九三九円、譲渡所得金額六七万二七二二円、配当所得金額五一万円、雑所得金額四万円の合計一〇四六万五六六一円であるから、本件更正処分(裁決により取消された後のもの。)は、右総所得金額の限度において適法であるが、右金額を超える部分は違法であるから取消されるべきである。

よつて、原告の請求は、右違法部分の取消を求める限度で理由があるので認容し、その余は理由がないので棄却し、訴訟費用の負担について行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条、九二条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官裁判官 田畑豊 裁判官 加藤英継 裁判官 石原敬子)

別紙第一

被告の主張

第一 課税の経緯

一、原告の昭和三九年分所得税の確定申告、修正申告ならびにこれに対して被告がなした更正額および被告主張額を示せば次表のとおりである。

<省略>

右のとおり原告の昭和三九年分所得税について、被告は、総所得金額を一四、七一二、三四四円とする更正をなし、その更正に対してなされた異議申立ての棄却決定をしたところ、原告が訴外熊本国税局長に対して更正額過大等の理由で審査請求を行なった結果、同局長は、総所得金額を一三、二七四、六四四円とする裁決をなし、被告のなした課税標準および税額についての更正処分の一部取消しを行なった。

二、被告が右更正決定をなした理由は、原告が昭和三九年中に先祖伝来の宅地及び畑地を譲渡しているにもかかわらず、これの譲渡所得を申告しないばかりか、このほかに不動産を売却して得た所得で事業所得とすべきものを確定申告および修正申告において譲渡所得として申告し、さらには、事業所得の起因となる取引の全部または一部を隠ぺいし、また仮装し、その隠ぺいし、また仮装したところに基づいて確定申告書を提出していたからである。

すなわち原告は、別表一に記載した土地にかかる譲渡所得のすべてを申告せず、また、別表三に掲げる取引にかかるものは、すべて昭和四〇年法律第三三号による改正前の所得税法(以下、旧所得税法という)九条一項八号かっこ書きの規定により譲渡所得に該当せず、同条同項四号に規定する事業所得に該当するにも拘らず、番号(1)~(4)の所得を譲渡所得として申告するとともに、さらに、同表の一部すなわち、番号欄(5)、(7)、(14)、(15)、(16)、(17)の取引についてもその全部または一部を隠ぺいしまたは仮装したところに基づいて確定申告をなし、かつ、必要経費の計算においても旧所得税法の規定に従っていなかったからである。

第二 原告の課税標準および税額について

一、原告の昭和三九年分所得税の課税基準は次のとおりである。

1 事業所得の金額は、別表二のとおり総収入金額七〇、二二五、五〇九円から必要経費五六、五九三、五八四円を差引いた一三、六三一、五二五円である。

2 譲渡所得の金額は、別表一のとおり総収入金額一、六六三、四八〇円から取得価額一五二、一七六円を譲渡に関する費用一五、八六〇円を控除した一、四九五、四四四円となる。

3 総所得金額は、右の事業所得の金額一三、六三一、五二五円、譲渡所得の金額一、四九五、四四四円から譲渡所得の特別控除一五〇、〇〇〇円を控除した一〇分の五相当額(旧所得税法九条一項前段参照)六七二、七二二円、配当所得の金額五一〇、〇〇〇円および雑所得の金額四〇、〇〇〇円の合計額一四、八五四、二四七円となる。

二、右総所得金額を基礎として原告の所得税額を算定すれば、次のとおりとなる。

1 総所得金額 一四、八五四、二四七円

2 所得金額から差し引かれる金額の合計 五〇五、三三〇円

(一) 社会保険料控除 四三、一三〇円

(二) 生命保険料控除 三四、四〇〇円

(三) 損害保険料控除 一、五〇〇円

(四) 配偶者控除 一〇八、八〇〇円

(五) 扶養控除 二〇〇、〇〇〇円

(六) 基礎控除 一一七、五〇〇円

3 課税される所得金額(1-2) 一四、三四八、九〇〇円

(旧国税通則法九〇条により一〇〇円未満を切捨てる。)

4 右に対する税額 六、五三九、八九五円

5 税額から差引かれる金額 一〇二、〇〇〇円

(一) 源泉徴収税額 二五、五〇〇円

(二) 配当控除 七六、五〇〇円

6 差引年税額(4-5) 六、四三七、八九〇円

右のうち

(一) 確定申告による年税額

一、七七六、九〇〇円

(二) 修正申告による増加税額

二〇八、五七〇円

(三) 差引納付すべき税額

四、四五二、四二〇円

第三 所得の種類について

一、原告は、本訴において、別表三に掲げる番号欄(1)~(4)までの取引による所得は譲渡所得であって事業所得ではないとして争うが、(原告は、同番号欄(5)以下のものは事業所得であることを認めている。)以下詳述するとおり、右資産の譲渡による所得は、旧所得税法九条一項八号かっこ書き「営利を目的とする継続的行為により生じた所得」に該当し、譲渡所得とはならず、同条四号の事業所得に該当するのである。

二1 原告は、別表三番号欄(1)~(4)までの資産は「原告が大分市大字上戸次四六九六番地に所有していた先祖伝来の酒造用地が九州地方建設局により強制収容されたため止むを得ず酒造用地の代替地として買受けた。」旨主張する。

しかしながら、原告の右主張は、次のとおり失当である。

2 原告は、昭和三六年当時、大分市大字上戸次四六九六番地において酒造業有限会社葛城酒造場(以下、葛城酒造という。)の代表取締役たる地位にあって、原告個人の所有にかかる土地を同会社の酒造用地および自己の居住用地に供していたのであるが、建設省起業大野川改修工事(昭和三年八月九日、河川法施行内務省告示二一四号)のため、昭和三六年三月三〇日付および同年五月二九日付をもって、土地収容法三条一項により国に買収され、次のとおり補償金を受けた。

(一) 土地補償金 宅地 七三六、七八坪 一、八四一、九五〇円

(二) 家屋移転料等 瓦葺二階建住家外一七棟 一四、六八八、九五八円

(三) 仮住居補償金 二七、〇〇〇円

(四) 営業補償金 九〇四、七五九円

合計金 一七、四六二、六六七円

右補償金のうち「(四)営業補償金九〇四、七五九円」は、葛城酒造の収益は属するから、残り一六、五五七、九〇八円は原告の昭和三六年分所得税の譲渡所得として申告すべきものであるにもかかわらず(旧所得税法九条一項八号該当)、原告は、昭和三六年分所得税の確定申告の際、昭和四四年法律第一五号による改正前の租税特別措置法(以下「措置法」という。)三一条二項に基づいて、前記(一)および(二)の土地、建物の収容価額のうち昭和三六年三月三〇日付収容にかかるものについては同三七年三月三〇日までに、同じく昭和三六年五月二九日付収容にかかるものについては同三七年五月二九日までに次の資産を「代替資産」として取得する見込みであるとして「代替資産の見積額等の承認申請書」を提出した結果、右補償金に対する譲渡所得についての納税を行なわなかったのである。

<省略>

3 右承認申請書に記載された取得見込みであるとする申請内容にそって、原告は、大分市内長浜地区に次の代替資産を取得したのである。

(一) 土地

(1) 大分市大字大分字古池尻三八六〇番地の一宅地六八坪昭和三六年三月取得

(昭和三七年三月一九日付売買を原因とする所有権移転登記)

価額 二三八、〇〇〇円

売渡人 愛媛県松山市大字祝谷三七四番地 藤田海二郎

(2) 大分市大字大分字西尾三四八七番地の畑九畝〇六歩(二七六坪)昭和三六年六月取得

(昭和三六年六月二九日付売買を原因とする所有権移転登記)

価額 一、一〇四、〇〇〇円

売渡人 別府市大字別府二〇八五番地 藤田縁郎

(3) 大分市大字大分字下井西(町名変更後、顕徳町三丁目)四四一二番一の宅地一六八坪昭和三五年一二月取得

価額 一、二〇〇、〇〇〇円

売渡人 大分市大字 大分信用金庫

右地積合計 五一二坪 価額合計 二、五四三、〇〇〇円

(二) 建物

(1) 居宅新築

昭和三七年二月一〇日 建築

昭和三七年一〇月一九日 保存登記

(イ) 鉄筋コンクリート二階建 延坪 一一五・五六坪

請負者 大分市長浜町三五九二番地 合資会社多田工務店

価額 九、五六〇、〇〇〇円

着工 昭和三六年 七月 一日

竣工 昭和三六年一一月二〇日

(ロ) 内装分工事

価額 三、二九〇、一〇〇円

施工者 熊本市浜町九五 株式会社高島屋熊本出張所

(ハ) 冷暖房設備および排水設備

価額 一、六一三、七七〇円

施工者 大分市下柳町八四四 株式会社三信工業

(ニ) 電気工事

価額 四五〇、〇〇〇円

施工者 大分市南新地四〇八 有限会社電施社

(ホ) 直営工事(原告の申立てによる)

価額合計

(内訳)

堀 一九二、〇〇〇円

物置 八〇、〇〇〇円

プール兼泉水 五二〇、〇〇〇円

有限会社明視堂払(大分市竹田一丁目)

九〇、〇〇〇円

雑費支出金 二二〇、〇〇〇円

大工外祝儀 五〇、〇〇〇円

右居宅新築価額合計 一六、〇六五、八七〇円

(2) 旅館建築価額 二、八六一、〇一九円

九七坪二棟(楓館)一階三三坪 二階三三坪外三一坪

建築着工年月日 昭和三六年四月二日

竣工年月日 昭和三六年一〇月上旬

右建築物(1)および(2)の価額合計 一八、九二六、八八九円

右代替資産の土地建物合計 二一、四六八、八八九円

4 しかして、措置法三一条二項は、同条一項各号に定める収用等によって買収され、補償金を収入した場合、その収用等のあった年の翌年の一月一日から収用等のあった日以後一年を経過した日までの期間内に代替資産を取得する見込みのある場合に、その旨見積額との承認を申請することによって暫定的に課税延期の特例を受け得る旨の規定である。

ところで、原告が上戸次の土地建物の収用を受けたのは昭和三六年三月三〇日および同年五月二九日であり、仮に原告が本訴で主張するように、別表三番号欄(1)~(4)までの資産を、代替資産として選択するならば、同表番号欄(4)の土地については上戸次の土地建物等の収容のあった時点以降その年の一二月三一日までに取得したものであるから、仮に原告がこの土地を措置法三一条による課税の特例を受けるための代替資産とする意図で取得したのであれば、同条二項によるまでもなく、同条一項に基づいて課税延期の特例を受ける旨を確定申告書に記載すれば足りたのである。別表三番号欄(1)、(2)、(3)の土地についてもその取得年月日は昭和三六年三月三日、三月二六日、二月一日といずれも収用のあった日以前であるが、国税庁長官通達昭和三五年一月一六日付直資三、直所一-二により「代替資産の取得の時期が収用のあった日以前であっても、その収用資産が土地収用法一六条の規定による事業認定のあったこと等により収用されることが明らかであるため、それに代るものとしてあらかじめ取得したものであるときは、その資産について措置法三一条から三四条までの規定を適用してもさしつかえない。」とされていたのであるから(収用されることが事前に明らかであったことは、起業者たる建設省から原告に対して買取等の申出のあったのが少なくとも昭和三六年一月三一日以前であったことからして明確である。)右(4)の土地と同様のことがいえるのである。

しかしながら、原告は、右の手続にかえて、前述した「代替資産の見積額等の承認申請書」を被告に提出し、その申請内容にそって代替資産として前記3の居住用土地建物等を取得した結果、昭和三六年分所得税については原告の確定申告どおり適法に補償金に対する譲渡所得の課税延期が受けられたのである。

右のような諸事実から、原告が別表三番号欄(1)~(4)までの資産を取得したことが、上戸次の土地建物の「代替資産」とするものでなかったことは明らかである。

5 措置法三一条の適用を受ける代替資産は、前述のとおり収用等のあった時にその被収用資産たる譲渡資産につきいわゆる圧縮記帳による課税延期の特例を認める結果、同法三四条によって代替資産を他に転売した場合には、その代替資産はさきの被収用資産たる譲渡資産の譲渡所得を計算すべきことを規定しているのである。

原告の場合は、収用された上戸次の土地建物等の代替資産は、前述の大分市大字大分字古池尻外の土地建物等であるから、これらを将来他に転売した場合のその譲渡所得の計算において、右に述べたように旧譲渡資産の取得価額を承継したものとして課税所得の計算が行なわれるのである。

以上述べたことから、原告が昭和三七年三月に被告に提出した昭和三六年分所得税の確定申告書において、上戸次の土地建物の譲渡所得の課税を延期するために、原告自らの選択によって前記3の(一)の土地および3の(二)の建物を代替資産であるとした事実を現在にいたって無視し、別表三番号欄(1)~(4)までの資産が代替資産であり、したがって、それの所得は譲渡所得であるとする原告の主張は、歴年にわたって一貫した課税方式をとる所得税法のもとでは許されないものといわなければならない。

三、しかるに、原告は、

1 乙四号証の四枚目に添付していた筈の書類に別地三番号欄(1)~(4)の土地(価額合計八、四三八、九八〇円)を記載していた。

2 このことは、右(1)~(4)の土地の価額合計八、四三九、九八〇円に、乙四号証の一~三枚目に記載してある土地(一九〇万円)、居宅(一一、四五五、九五九円)、工作物(七、三八五、九四五円)の価額合計を加えると二九、一八〇、八八四円となり、この金額が乙一号証の見積承認申請書の見積額二九〇〇万円にほぼ一致することからも明らかである。

3 見積額を二九〇〇万円としたのは、建設省の話では、補償金は概算二五〇〇~三〇〇〇万円になるということだったからである。

4 代替資産として申請した右(1)~(4)の土地のうち、右(3)の土地については、農地法五条の規定による農地転用許可申請も行なっている。(甲三号証の二)

と弁解している。

しかしながら、

1 乙四号証の二枚目の書類として提出されたものはないこと

2 乙一号証が被告に提出された昭和三七年三月一五日現在では、酒造業の廃業が確定していたのであるから、その時点に、酒造用地として取得した旨主張する右(1)~(4)の土地を代替資産として申請するのは矛盾であること

3 原告が酒造用地として取得したと主張する土地は、一〇筆一六、二三四、八二〇円に上っているので、このうちから、昭和三九年に売却した七筆八、四三八、九八〇円のみを抽出して、昭和三七年時点で代替資産として申請することはできない筈であること

4 乙一号証の提出日である昭和三七年三月一五日より前の昭和三六年五月には既に補償金は総額一七、四六二、六六七円と決まっていたのであるから、二九〇〇万円と見積ること自体おかしいこと

5 酒造業の廃業が確定した後の昭和三七年五月二九日に「酒造場移転用地に転用する」旨の申請を行なうことは虚偽の申請であることから、原告の右弁解は失当というほかない。

四、また、原告は、被告が大分市顕徳町三丁目(町名変更前は大分市大字大分字下井西)四四一二番一宅地一六八坪について、本訴では代替資産であると主張しながら、原告に係る昭和四五年分所得税の更正処分においてはたな卸資産であると認定しているのは、税務行政に一貫性を欠き違法である旨主張する。

しかしながら、原告のこの主張もそれ自体失当である。

1 すなわち、被告が、本訴において、右土地が昭和三六年三月三〇日および同年五月二九日付で建設省に買収された宅地等の代替資産のうちの一つであると主張しているのは、原告が、昭和三七年三月一五日付でその旨記載した「代替資産の見積額等の承認申請書」を被告に提出したうえ、現に右申請にそったものとして右土地を購入している事実が認められ、かつ、このことが、原告の「前記建設省に買収された宅地等の代替資産として右申請内容に含まれない土地を購入した」旨の主張事実の存在を否定するものであるからにほかならない。

2 一方、被告が、原告に係る昭和四五年分所得税の更正処分において、右土地をたな卸資産であると認定したのは、原告は、前記のとおり、右土地を代替資産であるとして申請し、被告もその時点においては、これを否定する資料を入手できないためそのまま認めたものの、昭和四五年分所得税の更正処分の際には、右土地は、代替資産ではなく、たな卸資産であることを積極的に裏付ける資料が得られたからにほかならない。

右土地がたな卸資産であることについては、原告の弟葛城浩三が「原告は、右土地が将来市道敷地として買収されることが分っていて、右土地の値上りをみはからって有利に転売する目的で買った」旨証言していることからも明らかである。

3 しかして、被告が、昭和三六年分所得税の確定申告の際に認めた代替資産の買換の特例の規定の適用を今になって否定して、同年分所得税の更正処分をなすことが許されないことはいうまでもないが、それとは直接関係のない昭和四五年分所得税の更正処分において、原告の偽りの申告を正し、真実に合致した処分をなすことが適法であることもまたいうまでもない。

また、このことが、被告において、本訴では「原告が右土地を代替資産であるとしてその旨の申請をした」と主張することと矛盾するはずもない。

4 以上要するに、原告は、いかにも被告の税務行政が一貫性を欠いているように主張したいのであろうが、ことの発端は原告の虚偽の申告にあるのであるから、むしろ、原告のそういった不誠実な態度こそ問題にされなければならない。

五、また、右(1)~(4)の土地は、以下述べるとおり、酒造用地として購入されたものではなく、「営利を目的とする継続的行為」により取得されたものというべきである。

すなわち、このことは、次の事実を総合すれば明らかである。

1 右にいう「営利を目的とする継続的行為」にあたるかどうかについては、「譲渡人の土地の取得および保有の状況、造成の有無(但し、この点が不可欠の要素とは解されない。)譲渡人の土地譲渡の回数、数量、金額、相手方等を総合して判断すべきであるが、右判断するについては、当該譲渡された土地についてのみならず、譲渡人の保有する土地全般にわたり、かつ、当該譲渡の行なわれた時期の前後を通じて右の各事情を斟酌すべきである」(横浜地判昭五〇・五・六、訟務月報二一巻七号一五六頁)ところ、本件についてこれをみると、次のとおりであり、ゆうに「営利を目的とする継続的行為」を認めることができる。

(一) 原告の昭和三五年から昭和三九年までの不動産売買状況は、昭和三五年一〇月頃から連年反復継続して、件数、数量、金額とも大量多額な不動産売買を行ない、莫大な利益を得ている。

(二) 不動産の大量取得をはじめた昭和三五年一〇月頃は、後述のとおり、酒造業の廃止を余儀なくされた頃であり、また、その頃の大分市明野地区の土地の取得方法等が異常であることからすると、原告は、その頃には不動産業への転業を意図していたと認められる。

右明野地区の取得方法等が異常であったことは

(1) 大分県が開発公社を設立して土地の買収に着手した時期およびその対象地区と原告の土地取得の時期およびその場所が同じであること

(2) 原告は、土地売買の仲買人丸井九十九に対し、右明野地区の土地を一か月以内にできるだけ広く買うように依頼していること

(3) 原告は、その際時価の倍以上の価額一〇万円(反当り)程度を指定して買い付けていることから明らかである。

(三) 原告は、土地取得の動機について、酒造業、山林業、農業等の各種事業目的を挙げているが、これらの土地は、いずれも何ら利用されることなく転売され、原告または原告からこれを取得した者の手で宅地化されている。

殊に、原告は、右明野地区の土地は、山林業のために取得し、そのための管理もした旨弁解しているところ、この弁解が全く信用できないことは、

(1) 原告は、現地調査に行った岩元証人を偽って管理の行き届いた他人の山に案内し、いかにも自ら管理しているように装ったこと

(2) しかるに、事実は、原告は、これらの山林を原野同然に放置しているばかりか、そもそもこれらの山林の立木は、用材に利用できるものではなかったことから明らかである。

(四) これらの土地の取得資金は、いずれも借入金で賄われており、転売目的以外の目的でこれらの土地を取得して採算が合うとは到底考えられない。

ちなみに、原告が山林業用に取得したという乙一〇六号証の一の番号一~二一の土地(合計五町二反四畝六歩五、二五八、八五〇円)は、反当り約一〇万円であって、これは、原告が昭和三三年に取得した山林(約一三町歩、六〇万円)の反当り価額約四、六〇〇円の二一倍余りに相当するのである。

しかるに原告は、松のまっすぐなものは、くえ木として高く売れ、十分採算が合う等と弁解している。

しかしながら、

(1) 松は、成長が遅く、杉、桧にくらべてその価値が著しく劣ることは衆知の事実であること

(2) 原告が右明野地区に山林業関係用地と称して取得した土地(乙一〇六号証の一、乙一〇六号証の七の番号一七九~一八三の土地)七、二五八、八五〇円から生じた収益は、昭和四一年が二七、〇〇〇円、昭和四五年が三〇万円、昭和四六年が一〇万円(計四二七、〇〇〇円)とわずかであったことから、右弁解も到底信用できない。

(五) 原告は、昭和三六年に取得した別表三の番号(5)の土地および乙一〇六号証の二、三の番号(38)~(78)の墓地がたな卸資産に当ることを認めている。

(六) 前記のとおり、原告は、昭和三五年一二月、大分市顕徳町三丁目四四一二番一の土地が、将来市道敷地とし(4)買収されることが分っていて、これの値上りをみはからって有利に転売する目的でこれを買っている。

(七) 原告が酒造場移転計画に関連して取得したと主張する右(1)~(4)の土地のうち、右(1)~(3)の土地は、いずれも当時進行していた石垣地区土地区画整理事業の施行区域内にあり、かつ、すぐ近くに別府国際観光港の建設が決まっていて、原告が取得する以前から、将来における地価の著しい上昇が見込まれていた。

(八) 原告が昭和三五年以降昭和三九年までの間に取得した土地(主として農地、山林)のうち、かなりのものが、別添資料1の通り、後になって、県、公社等の公的機関に買収されているが、これは、単なる偶然の一致とは考えられず、原告がより早く情報を得て、転売目的で買占めを図ったものと認められる。

このことは、前記(二)・(2)、(六)、(七)の事実および原告は大分県開発公社が後述する栗木セイの土地について買収交渉を行なった直後これを買収していることからも明らかである。

2 さらに、右(1)~(4)の土地が酒造用地として購入されたものでないことは、次の事実からも明らかである。

(一) 右(1)~(4)の土地を酒造用地として使用するにしては、その取得方法に次のとおり首肯しがたい点がある。

(1) 原告は、慎重な性格であるのに、右(1)~(4)の土地のうち、(1)、(3)の土地については、酒造用地の必須条件である水質の検査を事前に行なわず、人の噂を信用して買っている。

(2) 原告は、その後、水質検査を行ったとしているが、その結果が水質不良と判明した日(昭和三六年三月五日)より後に、酒造場用地と称して、右(1)~(4)の土地のうち、(2)、(4)の土地を買っている。

(3) 右(1)~(4)の土地のうち、(3)の土地は、原告が取得する際大分県と旧地主との間で訴訟が行われていたものであるが、真実酒造用地にする計画があったのなら、このような土地をそのために取得する筈はない。

(4) それに、そもそも、右(1)~(4)の土地が所在する別府市は、酒造業を行う場所として適切ではない。

このことは

(イ) 別府市にただ一軒あった森本酒造(有)も先行きの不安から昭和三五年に廃業していること

(ロ) 別府市の地下水は、地質学的にも有機質分が多く、酒造業に適さないこと

(ハ) 原告は右(1)~(4)の土地のうち、(4)の土地は、森本酒造の依頼で右田勝喜が米を栽培していたし、第六感で米栽培の適地と分った旨供述しているが、右田が右土地で米を栽培したことはないし、また、右土地は、海岸線に所在し、米栽培に適さないことは一見して明らかであることから明らかである。

(5) また、右(1)~(4)の土地のうち、(1)~(3)の土地は、国道一〇号線のそばにあり、将来の市街地化による水質汚染を考えれば、これが酒造用地に適すると考え筈がない。

(6) さらに、酒造場移転のための資金計画が全くできていない。

このことは

(イ) 建設省から受領した補償金は、豪華な居宅を建設するために費消されていること

(ロ) 右(1)~(4)の土地取得資金は、借入金で調達していることから明らかどある。

しかるに、原告は、これに対し、「山を売ればお金はいくらでもできる」旨弁解しているしかしながら、

(イ) 原告の昭和三八年から昭和四〇年までの山林所得は、わずか二、四六九、七三七円(昭和四〇年分)のみであり、売却可能な山林が多量にあったとは認められないこと

(ロ) 原告は、将来入金する予定の金まで担保に入れて借金している状態であったから、資金繰りに余裕があったとは認められないこと

(ハ) 原告は、建設省からの補償金が見込より少なかったことが、酒造業を廃業する最大の原因である旨供述していることから右弁解も到底信用できない。

(7) また、そもそも酒類製造免許を有して酒造業を行なっていたのは葛城酒造であるから、酒造用地を取得すべきものは、当該会社であって、原告がこれを酒造用地として取得するいわれはない。

(8) それに、原告は、右(1)~(4)の土地を何ら利用することなく、原状のまま転売して多額の利益を得ている。

(二) 次の事実を総合すれば、原告は、昭和三五年一〇月初旬頃には酒造業を廃止して、不動産業に転業することを意図していたことが明らかである。

(1) その頃の酒造業界の業況は、次のとおり、事業規模の小さい、いわゆる地酒メーカーが業界の過当競争により次第に経営が困難となっている様相を呈していた。

(イ) 昭和三〇酒造年度(酒造年度は、一〇月一日から翌年九月三〇日までである。)に清酒が大幅に増産された結果、銘柄間に隔差が生じ、知名度が低い地酒メーカーにおいては、清酒原料米割当基準指数(以下造石権という。)に基づく原料米割当量全部の製造石数を売りさばくことが困難となった(逆に知名度の高い業者は、原料米が不足することになる)。

このため、原料米の需給調整措置として、造石権の一年限りの譲渡(以下委託醸造という。)が行なわれるようになった。

(ロ) ところが、委託醸造の下における造石権は、事実上権利化し、これが高額で取引されるなど本来の目的にそぐわない弊害を生じ、委託醸造の委託者は、権利の上に眠れる者として強い批判を受けるようになった。

そこで、昭和三五酒造年度から、委託醸造は、原則として認めないこととなった。

このため、小規模業者においては、先行きの不安から造石権を譲渡して転業を図る者が多数に上り、熊本国税局管内においても昭和三五年から昭和三六年にかけて、かなりの者が造石権を他に譲渡して転業している。

(ハ) また、酒造業界が過当競争に陥ったため、昭和三一年以降酒造組合において清酒の販売方法等に関し規制を行なうようになった。

これに対し原告は、

(イ) 昭和三五~三六年が酒造業者の絶頂期であった

(ロ) 委託醸造は、国税庁が一方的に割当てたものである

などと弁解している。

しかしながら、

(イ) 仮に清酒の売手市場が真実であるならば、業者に貸倒損、値引きが生じるとは考えられないところ、葛城酒造の昭和三六年八月三〇日期事業年度では、貸倒損四六〇、〇一一円、売掛金値引六六八、七一一円が発生していること

(ロ) 委託醸造は、酒造業者間における原料米の需給のアンバランスを調整するという業者側からの要請で行なわれたものであって、国税庁としては、むしろ、これを抑制する方向にあったことから、右弁解も到底信用できない。

(2) 原告が代表者となっていた葛城酒造においても、次のとおり、その頃委託醸造に係る委託料収入によりやっと経営を維持していた。

(イ) 葛城酒造の昭和三五酒造年度における清酒生産販売の状況をみると、同社の銘柄で卸販売をした量を上回る一八、四四四リットルが未納税売上(いわゆる桶売りのこと)となっている。

(注) 桶売り(桶取引ともいう。)とは、販売力の弱い業者が酒税を納めないで原酒のまま譲渡すること(従って、買受人の方で自社製品と調合のうえ、酒税を納付して、自己の銘柄で販売することになっている)をいい、これが原料米の需給調整の機能を有することになる。

(ロ) 葛城酒造は、葛城節三の酒類製造免許が昭和三一年一一月に復活した直後からこれを賃借しており(右復活に伴って増資が行なわれるとともに、右節三も出資者となり、同人に対し、以後造石権使用科が支払われている。)、また、昭和三二酒造年度から右節三の基準指数を上回る指数の委託醸造が行なわれている(別添資料2参照)。

このことから、葛城酒造が右節三の造石権を取得したのは、事業拡張のためではなく、委託料収入の利ざや稼ぎによる経営の維持を図ったものと認められる(なお、葛城酒造の昭和三三年九月三〇日期事業年度以降の利益から委託醸造による利ざやを控除した製造、販売部門の利益は、別添資料2のとおりであり、連年大幅な欠損が生じている)。

(注) 委託醸造の実態は、造石権の賃借と同質のものであって書類上の契約のみで多額の委託料収入が入るから、経費は殆んど要しない。

(ハ) 葛城酒造およびこれを吸収合併した都酒造も、葛城酒造がいわゆる地酒メーカーであって、販売力が弱いため経営内容が悪く、かつ、この数年委託醸造により経営を維持してきたことを認めている。

これに対して原告は、

(イ) 葛城酒造の経営状況等に関する税務署の調査結果は、いつも上クラスであった

(ロ) 葛城酒造の銘柄に合わないものを桶売りにした

(ハ) 葛城節三の造石権は、事業拡張のため買った

(ニ) 事業拡張のためにホーロータンクを買っている

などと弁解している。

しかしながら、

(イ) 委託醸造における委託者および造石権売買における譲渡者は、小規模事業者であるのに対し、その相手方は、灘、伏見等の大手業者または比較的大規模業者であることからも、地酒メーカーの経営基盤の弱かったことは明らかであること

(ロ) 自己の銘柄に合わない酒が大量にできること自体醸造技術の拙劣さを示すものであること

(ハ) 原告は、葛城節三の造石権を買取ったといっているけれども、事実はこれを賃借りしていること、および右節三の造石権が復活した直後から葛城酒造の委託料収入が急増していることから、委託醸造による利ざや稼ぎを行なっていたことが明らかであること。

(ニ) ホーロータンクを設置したのは、事業拡張のためではなく、従来の木製樽をこれに替えたにすぎないし、また、事業拡張のためにホーロータンクを増設した旨の原告の供述は、葛城酒造は、河川の沿岸にあって浸水の危険があるから、できるだけ製品や手元に置かないようにしていた旨の原告の供述と矛盾すること

から、右弁解も到底信用できない。

(3) 建設省の買収により、大分市上戸次の酒造場を立退かなければならないことは、昭和三五年一〇月初旬までには決まっていて、原告もこれをその頃には知っていた。

(4) 原告は、その頃、委託醸造がいずれ廃止されることを知っていた。そうすると、葛城酒造は、委託醸造の委託料収入によりやっと経営を維持するという状態にあったのであるから、一方で、委託醸造が認められなくなり、他方で、酒造場の立退きを余儀なくされれば、誰でも、その時点で、酒造業を廃業するしか途がないと考えるのが当然と思われる。

(5) 葛城酒造の所有に係る資産のうち、事業遂行上基本的に重要な酒造業用の家屋およびその敷地が、昭和三五年一〇月三日付で、原告に対し、時価よりも著しく低い価額で譲渡されており、しかも当該土地が建設省に買収されたこと等に伴って、原告は、別添資料3のとおり六、三七二、七五七円の利益を得ている。

(6) 原告が、乙九二号証の一、二、および乙九五号証の各書類を被告に提出するに当り、その理由を「工場移転のため」と記載したのは、事実酒造業を移転して酒造業を継続する意図があったからではなく、昭和三五酒造年度における委託醸造について被告の同意を得るための方便にすぎない。

このことは、

(イ) 昭和三五酒造年度における委託醸造は、工場の全面的修理または移転等特別の理由がなければ認められないとされていたこと

(ロ) 葛城酒造の工場を移転する具体的な計画が全く樹てられていないこと

(ハ) 昭和三六年五月六日付で葛城酒造の造石権を都酒造(株)に譲渡しているが、都酒造が右造石権の買取りを申し入れたのは昭和三五年中のことと推認される

ことから明らかである。

(三) しかるに、原告は、右(3)~(6)に対し

(1) 乙七〇号証(葛城酒造が昭和三五年一〇月一四日付で被告に対し提出した工場移転に関する誓約書)は、税務署の指示で出したものであり、これによれば、葛城酒造はもちろん税務署も葛城酒造が酒造業を継続すると認識していたことになる。

(2) 酒造業を継続する意図の下に宝酒造に新工場の設計を依頼していたが、新工場設計の間一~二年休業すると、事業再開不能との注意を受けたので移転をあきらめた。

(3) 被告は、葛城酒造が都酒造に造石権を譲渡した旨主張するけれども、右造石権の譲渡については、公正取引委員会および税務署長の許可が得られるか否か不安があったので、葛城酒造と都酒造が合併することになったものであり、また右合併の話は、昭和三六年五月初めになされたものであるなど弁解している。

しかしながら、

(1) 税務署長が葛城酒造からの昭和三五酒造年度における委託醸造の申出に対して同意を与えるに際し、乙七〇号証の提出を求めたのは、税務署長としては、当時から葛城酒造が事実酒造場を移転するか否かについて疑念を抱いていたことによるものであるが、さりとて当時としては、右疑念を立証するに足りる資料がなかったので、誓約書を徴して右同意を与えるほかなかったこと

(2) 新工場を建築する間酒造業を休止すれば、これを再開することが不可能となるのは常識である。したがって、本当に工場を移転する気があれば、先ず新工場を建設し、準備が整った後に旧工場の移転、立退を行なうのが普通であるのにそうしていないこと(原告は、その第七準備書面において、工場の移転先が決定する前の昭和三六年三月上旬から工場家屋建物の解体に着手していた旨主張している。このことは、遅くともその時点には酒造業の廃業を決めていたことを意味する。

(3) 原告は、造石権の譲渡について許可が得られるか否か不安であった旨弁解するけれども、本件の場合、都酒造のシェアは小さく、かつ、独占禁止法一五条二項に基づく届出でよいのであるから、公正取引委員会の許可は問題にならないし、また、税務署長の同意が得られることも明らかであること

(4) 合併契約書の七条で明らかなとおり、都酒造は、葛城酒造の取締役、従業員を採用していないから、都酒造としては、造石権のみが欲しかったと認められることおよび原告は、右合併に伴って取得した都酒造の株式を担保にして、宝酒造から金二千万円を無期限、無利息で借金していることから、合併は、造石権の譲渡から生じる利益に対する税の賦課を免れるためにとられた形式にすぎず、その実態は、造石権の譲渡であると認められること

(5) 合併の話をいつ切り出したかについては、都酒造は、宝酒造を通じてかねてより造石権を譲渡しそうな者を物色していたことおよび都酒造が昭和三五年九月には宮崎県の二軒の酒造業者から造石権を買収していることからすると、都酒造は、昭和三五年一〇月頃には葛城酒造の移転(廃業)のことを知っていたと推認できることから、右弁解も到底信用できない。

第四 事業所得の金額について

一、原告の事業所得の収支計算を、原告、被告の主張額を対比して示すと、次表のとおりである。(原告が譲渡所得であると主張する別表三の番号欄(1)~(4)までのものに係る売買損益も含む)

(事業所得の収支計算に関する原告、被告の主張額対比表)

<省略>

<省略>

右表において原告と被告の主張額の差額につき、総収入金額および必要経費に大別し、その細目につき詳述する

二、事業所得計算上の総収入金額について

1 被告の計算によると、原告の不動産売買にかかる事業所得計算上の総収入金額は七〇、二二五、五〇九円であり、このうち資産の売渡金額が七〇、一八五、九〇〇円、雑収入が三九、六〇九円である。

各資産毎の売渡金額は、別表三に細目で示したが、これらのうち原告が争う同表番号欄(5)、(7)、(14)、(15)、および(17)の各取引につき詳述する。

2 別表三「番号欄(5)」の土地の売渡価額について

原告は、別府市亀川字天神池二、一六四番地、台帳地目、田、一五〇坪の土地の売却に当り、買受人訴外藤巻春子との間に、昭和三九年八月一七日付をもって金一、九五〇、〇〇〇円にて売却する旨の土地売買契約証書(乙一三号証の二)と、同日付をもって金三、二二五、〇〇〇円にて売却する旨の土地売買契約書(乙一三号の一)の二通を作成し、右のうち一、九五〇、〇〇〇円をもって確定申告をなし、取引の一部を仮装して申告していたものである。

右事実について、昭和四〇年五月一〇日に被告所属の国税調査官小田部倹が調査を行なったところ、原告は、右仮装事実が明らかになったので、日を経ずして同年五月二二日被告に対し総所得金額を六、三七〇、九〇七円とし(譲渡所得四六三、五〇〇円増加)、修正申告書を提出したものである。

3 別表三「番号欄(7)」の土地の売渡価額について

原告は、別府市鶴見字ヒゲ石一、七〇三番地の四、原野三六七・五九坪のうち一四〇坪の土地の売買については買受人訴外渡辺忠義との間に、金四五五、〇〇〇円で売買する旨の土地売買契約書(甲七号証)があり、正当である旨主張するが、被告は、右土地の坪当り価額が当時の時価に比較して不当に低い価格であり、また、買受人について、右土地の売買の経緯ならびに土地代金四五五、〇〇〇円の資金の出所および支払の諸事実等について調査した。

しかしながら、右買受人は、通常であれば当然保存しているはずの土地代金の領収証を保存していないと申立て、かつ、支払事実についても明確な回答をなさず、売買価額が四五五、〇〇〇円であることを措信しがたい状況にあった。

そこで被告は、右土地の売買仲介をなした訴外明治開発株式会社について調査したところ、原告と右買受人の間では金八〇〇、〇〇〇円で売買された事実を探知するに至り、原告の主張する売買価額四五五、〇〇〇円は仮装されたものと認め、この事実に基づいて売渡価額を八〇〇、〇〇〇円と認定したものである。

4 別表三「番号欄(14)」および「番号欄(15)」の土地の売渡価額について

原告は、別表三の番号欄(14)の大分市大分字菜ノ本二、六四六の三番地所在、田四一五・五坪のうち五〇坪を訴外沼口トシ子に金一、一〇〇、〇〇〇円で、別表三の番号欄(15)の同市同字二、六四六の三番地所在、田四一五・五坪のうち七三坪を訴外小野馨に金一、一六八、〇〇〇円でそれぞれ売却したにもかかわらず、これを右前者は四〇〇、〇〇〇円、後者を一、〇二二、〇〇〇円で売却した旨主張する。

そこで、被告は、右両買受人についてそれぞれの土地の売買の経緯ならびに原告の主張する売買価額に相当する資金の出所および支払いの事実について調査したのであるが、いずれも明確な回答を得られなかった。

ところで、原告は、前記両土地と所在地が隣接し同一地番内にあった別表三番号欄(13)の土地を訴外市原建設株式会社に坪当り一八、五〇〇円で売却しているのに、原告が主張せる前記二つの土地の坪当り売渡価格は八、〇〇〇円と、一四、〇〇〇円となり、その価格差が著しく、原告の主張する売渡価額は措信しがたい状況にあった。そこで、被告は、前記各土地の仲介をなした訴外明治不動産株式会社において仲介料収入および仲介した土地の売買価額の調査を行なったところ、沼口トシ子からの仲介手数料収入は二〇、〇〇〇円と三五、〇〇〇円に分割して計算、領収しており、その合計額は五五、〇〇〇円であった。右訴外会社は、仲介手数料を売主、買主の双方から領収するので、仲介手数料は一一〇、〇〇〇円となる。

これによって、仲介手数料率百分の一〇(売買価額が二〇〇万円までは売主、買主からそれぞれ五分ずつ徴収する。)を基礎として売買価額を換算すると、沼口トシ子に対して売却した土地の価額は一、一〇〇、〇〇〇円である。同じように小野馨からの仲介料収入は五四、七五〇円と三、六五〇円に分割して計算、領収しており、その合計額は五八、四〇〇円となる。

これを売主、買主の双方から領収すると、仲介手数料収入は一一六、八〇〇円となり、これより計算した売買価額は一、一六八、〇〇〇円となる。

5 別表三「番号欄(17)の土地の取得および売却について

(一) 原告は、昭和三九年八月一三日、大分郡湯布院町大字川北字米田八九六番地の二、原野九町一反八畝二五歩(但し、公簿面による。)を、大分郡湯布院町大字川北一〇四四番地、米山六一人持、代表者訴外高田武より金六、六〇〇、〇〇〇円で購入する旨の売買契約を締結し、その土地を取得した。

さらに、原告は、昭和三九年九月二五日、右土地を大阪市東区本町一丁目二四番地の一、明治開発株式会社、代表取締役松井猛、代理人別府市営業所長、玉井栄次郎に一〇、四〇〇、〇〇〇円で売却する旨の売買契約を締結し、右土地を転売した。

(二) 原告は、右土地の売買に当って、原告自身を東京都千代田区紀尾井町四の三、荒尾政英と偽って取引しているが、これは、次の諸事実によって原告の取引と認めることができる。

(1) 原告は、右土地の売買に前後した昭和三九年九月七日、他の土地の転売に当り、東京都千代田区紀尾井町四の三、荒尾政英なる偽名を用いて売買契約を締結したことがあり、これがため売主と紛争を起し、改めて自己名儀で売買をやりなおし、自己の名儀で他に転売していた事実がある。

すなわち、原告は、次の土地を荒尾政英なる偽名で購入していた。

土地所在地 大分県大分郡湯布院町大字川西字ユム田一二〇一の一

地目地積 原野 拾町歩(但し、実測による) 現在の公簿面二町歩

売買年月日 昭和三九年九月七日

売渡人 大分県大分郡湯布院町大字川北石武

拾四人持代表〔大久保 一二三

高田元義

高田隆彦

買受人 東京都千代田区紀尾井町四の三

荒尾政英

右土地の売買契約成立後、売渡人代表訴外大久保一二三は、右買受人荒尾政英に所有権移転の登記をさせるため、「東京都千代田区紀尾井町四の三荒尾政英」宛にはがきを差し出したところ、「区役所を調査したところ宛先には不在でまた過去に居住した事実はない」旨、の郵便局の付せんのついた右はがきの返戻を受けた。

そこで、右訴外人大久保一二三は、右土地の売買仲介人を通じて荒尾政英なる者が原告であることを確認し、右訴外人は、原告に対して所有権移転をなすよう申しいれたところ、原告は、昭和三九年九月七日付で荒尾政英なる偽名で取り交された土地売買契約証書の契約を解除する旨の「土地売買契約解除同意書」を「荒尾政英」名儀で取交したのである。

なお、右土地売買契約解除同意書に使用した「荒尾」名の印鑑はさきの土地売買契約書に使用した印鑑と同一のものである。

原告らは、右契約書は実質的には有効なものとしてその効力を維持し、原告は、右土地を昭和四〇年一一月一〇日、買主大分県湯布院町長岩男頴一に対し、四〇、〇〇〇、〇〇〇円で売却しているが、この取引では原告の名儀を使用している。

しかるに、原告は、これに対して

(イ) 明治開発の手嶋が、原告に対し、荒尾政英に残金支払能力がないという理由で右土地の買取方の依頼をして来たので、甲一五号証の一、二、四の引渡しを受けて荒尾の肩替りをしたものである。

(ロ) 乙二〇号証は原告が卒先して作成した訳ではなく、湯布院町や大久保一二三らの要請で作成したものである。

などと弁解している。

しかしながら

(イ) 原告は、荒尾の肩替りをしたというけれども、それにしては、原告は、既に支払済の手付金相当額が荒尾に返還されたかどうかさえ確認していないなど肩替りの仕方がいいかげんであること。

(ロ) 原告は、当初「手嶋が右土地を荒尾の名で買った」旨主張していた(原告第七準備書面)のに、後にこれを変更していること。

(ハ) 湯布院町や大久保一二三らにとって、売買契約解除同意書を作成する必要性、実益は全くないこと(このことは、右契約が実質的に有効なものとして取り扱われていることからも明らか)

などから、右弁解も到底信用できない。

なお、この点について右手嶋は、原告の右弁解((イ))にそう証言をしているが、

(イ) 右手嶋は、直接の取引仲介者でありながら、荒尾が支払ったことになっている手付金の清算について「手付流れとなり、荒尾が損をした」、「右の手付流れ分は明治開発に渡り、その分同社が儲けた」、「原告は、右手付相当額を荒尾に支払っているが、現実にそれが誠に渡っているのか知らない」旨証言しており、全くいいかげんであること

(ロ) 荒尾に残金支払能力がないといっているけれども、残金六〇〇万円の支払期日である昭和三九年一〇月三一日以降も、相変らず荒尾名儀で小切手の裏書きがなされていること

などから、右証言も到底信用できない。

(2) 荒尾政英なる人物は実在しない。

(3) 別表三番号欄(17)の土地の取得代金は、原告から、明治開発を通じるなどして右高田武の普通預金口座に払込まれている。

(4) 右土地の売却代金一〇、四〇〇、〇〇〇円は、次のとおり、原告が明治開発から受領している。

(イ) 昭和三九年一〇月六日 二、〇〇〇、〇〇〇円

明治開発株式会社別府営業所長、玉井栄次郎振出し、大分銀行別府北浜支店、小切手637号にて支払われ、同年一〇月一九日「大分市長浜町三-六-三葛城啓三」にて裏書きされている。

(ロ) 昭和三九年一〇月一六日 二、〇〇〇、〇〇〇円

明治開発株式会社、別府営業所、所長玉井栄次郎振出し、大分銀行別府北浜支店、小切手636号にて支払われたが、この二、〇〇〇、〇〇〇円は、原告が大久保一二三、高田隆彦、高田元義等に支払うべき金銭に当てられたので、同年一〇月一九日「大分郡湯布院町農業協同組合、組合長理事、溝口仗一」の裏書きによって交換決済されている。

(ハ) 昭和三九年一〇月三〇日 三、三〇〇、〇〇〇円

明治開発株式会社別府営業所、所長玉井栄次郎振出し、大分銀行別府北浜支店、小切手8006号にて原告に支払われたが、この三、三〇〇、〇〇〇円は、原告の本訴土地の購入代金の未払分に充当されるため、同日、高田武、玉井栄次郎名義の湯布院町農業協同組合信用部、普通預金口座に預入されている。

(ニ) 昭和三九年一二月三〇日 五〇〇、〇〇〇円

明治不動産株式会社大分支店より現金にて支払われている。

(ホ) 昭和三九年一二月二九日 五〇〇、〇〇〇円

明治不動産株式会社、大分支店長玉井栄次郎振出し大分銀行本店営業部、小切手2700号によって支払われ、同日「東京都千代田区紀尾井町荒尾政英」名義で裏書きのうえ現金で支払われている。

(ヘ) 昭和三九年一二月三一日 一一三、四〇〇円

明治不動産株式会社大分支店より現金にて支払われた。

(ト) 昭和四〇年一月二三日 一、〇〇〇、〇〇〇円

明治不動産株式会社大分支店長、玉井栄次郎振出、大分銀行本店営業部、小切手6964号にて支払われ、同日、「東京都千代田区紀尾井町荒尾政英」にて裏書きのうえ現金で支払われた。

(チ) 昭和四〇年一月三〇日 五〇〇、〇〇〇円

(リ) 昭和四〇年二月二七日 三二〇、〇〇〇円

(ヌ) 昭和四〇年二月二八日 一六六、六〇〇円

いずれも明治不動産株式会社大分支店より現金にて支払われた。

以上合計一〇、四〇〇、〇〇〇円

ところが、原告は、右(イ)の二〇〇万円は、原告が神崎高鬼から取得した別表三の番号(6)の土地の売却代金を明治開発に一時使用させていたところ、明治開発がこれを返還したものである旨弁解している。

しかしながら

(イ) 右土地の譲渡代金は、昭和三九年五月三〇日までに全額明治開発から支払われていること。

(ロ) 原告は右神崎に対する土地代金の支払いさえも分割している状況であるから、明治開発に売却代金を貸す余裕があるとは認められないこと。

(ハ) 原告が利にさといこと(後記のとおり、別表三の番号(13)の土地を市原建設に売却するに当り、代金支払猶予期間分に対する利息三九、六〇九円を徴している。)からすると、無利息で右資金の貸付をするとは考えられないこと。

(ニ) 原告は、当初「右二〇〇万円は、貸与した約束手形の返済金である」旨主張していたのに、後にこれを取消していること

から、右弁解も到底信用できない。

(5) 別表三番号欄(17)の土地の道路取付工事を請負った佐野ブルドーザー(有)においても、原告が同工事の発注関係者であると認識している。

(6) 原告は、昭和四〇年分所得税について、荒尾政英名義で取引していたことが発覚したため修正申告をしている。

(7) 原告は、被告の調査官に対し、荒尾政英を同行すると約束しながら実行していない。

(8) 原告は、自宅に「荒尾」名の印影を所持していた。

(9) 原告は、他にも「小野淳一郎」なる他人名義を使用して取引をしている。

(10) 原告は、湯布院長のユム田の原野を湯布院町に転売するに当り、この取引と全く関係のない千代田土地(株)が介在したかのような工作をしている。

(三) ところで、原告は、右土地の売却代金の入金について「原告が昭和三九年夏頃、明治開発株式会社別府出張所に対して約束手形を貸したことがあるために生じた誤解である。」と主張し、「佐野ブルドーザーが明治開発の工事を請負った際にその請負代金を明治開発の約束手形で受領することを信用しなかったため、原告の手形を明治開発に貸付け、それを佐野ブルドーザーが、明治開発から受領した。」旨主張する。

しかしながら、

(1) 佐野ブルドーザーは、昭和三九年六月以降に明治開発および明治不動産ならびに原告本人からの工事収入金を次のとおり記帳しているが、原告が貸与した約束手形をもって明治開発から収入した事実はもとより、前記(4)の(イ)~(ヌ)の各金額に相当する金額の収入を記入した事実もなく、原告が工事を発注した収入一、一〇〇、〇〇〇円が帳簿記入されているにすぎないこと

(有限会社佐野ブルドーザー工事収入勘定(関係分)明細)

<省略>

(2) 原告は、「明治開発には金を貸さないようにしていた」、「原告自身は高利貸から借金していた」旨供述しているところ、右供述は、右主張と矛盾することから、原告の右主張も失当というほかない。

なお、右手嶋は、原告の右主張にそう証言しているけれども、右証言は、前後に同一性がなく、矛盾に満ちていて、到底信用できない。

(四) また、右手嶋は、「右表三の番号欄(17)の土地に限っては、「荒尾政英」即明治開発である」、「明治開発が右土地を直接明治不動産に売った」旨証言している。

しかしながら、

(1) 右手嶋は、一方で「荒尾を現地に案内した」、「明治開発には資金がなかった」、「湯布院町のユム田の土地の取引に関しては、荒尾は実在した」「荒尾らは、乙一六号証(高田武と荒尾との売買契約書)と乙一八号証の一(大久保一二三らと荒尾との売買契約書)とを同じ日に作成した」旨証言していて、証言全体が矛盾に満ちていること

(2) 明治開発が右土地を取得して直接明治不動産に売るのであれば、荒尾名義を使用する必用は全くないことなどから、右証言も到底信用できない。

6 雑収入金額三九、六〇九円について

(一) 原告は、昭和三九年一一月一二日大分市金池南二六四四番地訴外市原建設株式会社に対して、大分市菜ノ本二六四六の三、田四一五・五〇坪のうち一九一・四九坪を三、四四六、〇〇〇円で売却している。

ところで、右売買に際し、買受人は、次のとおり代金三、四八五、六〇九円を支払っている。

支払代金三、四八五、六〇九円と土地代三、四四六、〇〇〇円との差額三九、六〇九円は、右買受会社が土地代金の支払いを延期したことによるものであり、原告の遅延利息たる収入になるので、雑収入として原告の事業所得計算上の総収入金額に算入される。

(支払金額)

昭和三九年一一月一二日 一、〇〇〇、〇〇〇円

昭和四〇年 四月 六日 二、一〇五、六六七円

(未払金計上) 三七九、九四二円

支払合計 三、四八五、六〇九円

(二) ところが、原告は、右金額は、市原建設の仲介人安部敏行に対して支払うべき利息、飲食費に当るから、売買契約締結費用として控除すべきである旨主張する。

しかしながら、原告が右安部に支払った仲介料五〇、〇〇〇円は、売渡経費として、別表三の番号欄(13)の<コ>欄のとおり控除ずみであるのみならず、そもそも右安部に対して利息等を支払うべき理由がないので、原告の右主張も失当である。

三、総収入金額から控除される必要経費について

1 原告の不動産売買業にかかる事業所得計算上の総収入金額七〇、二二五、五〇九円から控除される必要経費は、別表二のとおり、資産の売上原価四六、七六九、四四一円と売渡経費等の経費九、八二四、五四三円の合計五六、五九三、九八四円である。

右必要のうち原告が争う項目につき以下詳述する。

2 売上原価を構成する別表三「番号欄(3)」の土地の取得経費六七、七四六円について

(一) 原告の主張によれば、別府市南石垣字浜田九五一番地、雑種地二〇〇・〇六坪の土地を取得するための経費は六二四、九一九円であると主張するが、被告の計算によると、これは六七、七四六円となる。

(二) すなわち、右土地は、原告が昭和三六年二月一日付をもって岩国市空港前、訴外西村重則から次の物件を総額九、五六六、一〇〇円で取得したうちの一部分二〇〇・〇六坪である。

(1) 別府市南石垣字浜田九五一番地)地目 田六二四・〇二坪

同 九五四番地

(2) 別府市南石垣字森田三四一番地の一)地目 田二四一・九九坪

同 三四四番地の一

右合計 八六六・〇一坪

(三) しかして、原告が右土地八六六・〇一坪の取得経費であるとする六二四、九一九円(訴状第一表による)のうち、旧所得税法施行規則一二条の一二によって取得価額に算入されるものは次のとおりである。

昭和三六・二・三 一五〇、〇〇〇円 仲介料

〃 三六・二・二二 二、一二〇円 雑費

〃 〃 四・一〇 五、五六〇円 〃

〃 〃 〃 〃 三、〇六〇円

〃 〃 〃 二六 一、八七〇円

〃 〃 〃 九 一、一二五円

一二九、五四〇円 本件土地取得に係る所有権移転登記のための登録税

取得経費計 二九三、二七五円

右取得経費計二九三、二七五円を基礎として、前記(二)の土地全体の取得価額九、五六六、一〇〇円を分母に、昭和三九年三月三一日、日本専売公社に売却した別表三番号欄(3)の土地二二〇・〇六坪相当分の取得価額二、二〇〇、六六〇円を分子として算定した割合二三・一%を乗じた金額六七、七四六円が本訴右土地の売上原価に算入される取得経費となる。

(四) 原告が右土地の取得経費六二四、九一九円であると主張し、甲五号証の一の六他において立証している各支出金額のうち、前記取得経費以外のものは、それぞれ次の理由で所得税法上、取得経費とは認められない。

<省略>

3 資産を買入れた日から昭和三八年一二月三一日までの利息の原価性について

(一) 原告は、訴状添付第二表において、次の各資産につき、それぞれ買入れた日から昭和三八年一二月三一日までの利息を各資産の取得価額に加え、昭和三九年一月一日現在棚卸価額(売上原価)としている。

(1) 別府市大字亀川字天神池二一六四 田一五〇坪(被告本別表三(5))

利息 六九八、七〇五円

(2) 別府市大字鶴見字明はん 畑、山林

一三五三の一 外七筆 一、六四一坪(被告本別表三(6))

利息 五、〇〇〇円

(3) 大分市大字神崎字切通六-二 宅地五二〇・七六坪

建物一七二坪(被告本別表三(8))

利息 三七六、五五〇円

(4) 大分市大字宮崎字天神口四一四 田三九坪外二筆(被告本別表三(9))

利息 八、七四五円

(5) 右同 宇素川 田九七二坪(被告本別表三(12))

利息 五九、四五〇円

(二) しかしながら、旧所得税法九条一項四号は、「事業所得はその年中の収入金額から必要な経費を控除した金額による。」と規定し、その年中の支出に含まれない経費を控除することを認めていないのである。

したがって、当年前に発生し支出した利息を取得原価に加えることはできない。

被告は、原告の昭和三九年中の借入金利息については別表二および後述のとおり七、七八〇、五〇三円を経費として認めており、これに加えて、当年分以外の利息についてまでも経費として認めることは、右のとおり所得税法上許されないのである。

4 昭和三九年分の必要経費に算入される支払利子について

原告は、昭和三九年の事業所得の計算上必要経費に算入される支払利子は九、一六一、五九一円であると主張する。

原告の右主張の明細を各借入先毎に借入金元本の移動と支払利息ならびに手数料等に分類すれば、別表四の(一)~(七)のとおりである。

原告の主張額九、一六一、五九一円のうち、次に記述する金額は、所得税法上昭和三九年分の事業所得の計算において必要経費に算入されない金額であり、その合計額は一、三八一、〇八八円である。したがって、原告の主張する支払利子等九、一六一、五九一円からこの一、三八一、〇八八円を差し引いた七、七八〇、五〇三円が所得税法上必要経費に算入される金額である。

(一) 西日本相互銀行大分支店分否認額計 六五四、二二八円

(1) 葛城啓三名義分

(イ) 否認額 二三七、六〇〇円(別表四の(一)番号(14)の<ネ>欄)

昭和三九年三月三一日支払いの一、二二〇、四〇〇円は、元本四、〇〇〇万円に対する昭和三八年一二月一〇日から同三九年三月三一日までの一〇七日間、日歩二銭七厘の計算による利子であるが、このうち昭和三八年一二月一〇日から同年一二月三一日までの二二日間、日歩二銭七厘の利子二三六、六〇〇円は、三八年分の未払利子の支払であるから否認する。

(ロ) 否認額 四四、六六九円(別表四の(一)番号(15)の<ネ>欄)

昭和三九年三月三一日支払の二二九、四三五円は、元本一、一二八万円に対する昭和三八年一二月一〇日から同三九年三月三一日までの一〇七日間、日歩一銭八厘の計算による利子であるが、このうち昭和三八年一二月一〇日から同年一二月三一日までの二二日間、日歩一銭八厘の利子四四、六六九円は、昭和三八年分の未払利子の支払いであるから否認する。

(ハ) 否認額 七九、一八六円(別表四の(三)番号(55)の<ネ>欄)

昭和三九年一二月三一日支払いの八一、二一六円は、元本一、一二八万円に対する昭和三九年一二月三一日から同四〇年二月八日までの四〇日間、日歩一銭八厘の計算による利子であるが、このうち一日分二、〇三〇円を差引いた七九、一八六円は、昭和四〇年分の前払利子であるから否認する。

(ニ) 否認額 二八〇、〇九八円(別表四の(三)番号(56)の<ネ>欄)

昭和三九年一二月三一日支払いの二八七、二八〇円は、元本二、六六〇万円に対する昭和三九年一二月三一日から同四〇年二月八日までの四〇日間、日歩二銭七厘の計算による利子であるが、このうち一日分七、一八二円を差引いた二八〇、〇九八円は、昭和四〇年分の前払利子であるから否認する。

(2) 葛城キヨ分

否認額 一二、六七五円(別表四の(七)番号(146)の<ネ>欄)

昭和三九年一二月三一日支払いの一三、〇〇〇円は、元本一二五万円に対する昭和三九年一二月三一日から同四〇年二月八日までの四〇日間、日歩二銭六厘の計算による利子であるが、このうちの一日分三二五円を除く一二、六七五円は、昭和四〇年分の前払利子であるからこれを否認する。

(二) 大分県信用組合分否認額 一一、二〇〇円(別表四の(四)番号(74)の<ネ>欄)

昭和三九年一一月七日支払いの一八四、〇五〇円から手数料等五〇円を差し引いた一八四、〇〇〇円は元本八〇〇万円に対する昭和三九年一一月七日から同四〇年一月四日までの六〇日間、日歩三銭五厘の計算による支払利子であるが、このうち四〇年一月一日から四日までの四日間、日歩三銭五厘の利子一一、二〇〇円は、前払利子であるから否認する。

(三) 大分銀行分否認額 一、二六〇円(別表四の(五)番号(101)の<ネ>欄)

昭和三九年一一月九日支払いの八、七三〇円は、元本五〇万円に対する昭和三九年一一月九日から同四〇年一月九日までの六二日間、日歩二銭八厘の計算による利子であるが、このうち四〇年一月一日から同月九日までの九日間、日歩二銭八厘の利子一、二六〇円は、前払利子であるから否認する。

(四) 旭融資株式会社分否認額計 七一四、四〇〇円

(1) 葛城啓三名義分

否認額 一二〇、九〇〇円(別表四の(五)番号(113)および(114)の<ネ>欄)

昭和三九年一二月三日支払いの一一七、〇〇〇円は、元本二六〇万円に対する同日から同四〇年一月一日までの三〇日間、日歩一五銭の計算による利子であるが、このうち一日分三、九〇〇円は、前払利子であるから否認する。

さらに、昭和三九年一二月三〇日支払いの一一七、〇〇〇円は、昭和四〇年一月二日から同年一月三一日までの三〇日間、日歩一五銭の利子であるから本訴年分の必要経費にならないので否認する。

(2) 小野寿鋼機KK小野寿市名義分

否認額 五九三、五〇〇円(別表四の(六)番号(132)の<ネ>欄)

別表四の(五)番号(116)から別表四の(六)番号(132)までに記載した原告主張支払利息五九三、五〇〇円は、原告の不動産売買業の資金に運用した事実は認められないから否認する。

しかるに、原告は、これは、原告に信用がないので、小野寿鋼機の名義で借りたものである旨弁解する

しかしながら、

(イ) 小野寿鋼機は、当時既に高利の借入をなし、資金繰りが悪化していたのであるから、他に名義を貸す余力がない筈であること

(ロ) 原告は、小野寿鋼機に金を貸していたと供述していること

(ハ) 原告は、連帯保証人相島俊彦を全く知らないと供述していること

(ニ) 小野寿鋼機の親会社住金物産(株)小倉支店長名で振出された小切手で決済されていること

などから、右弁解も到底信用できない。

(五) 府内信用金庫分否認額 五、五二〇円(別表四の( )番号(64)の<ネ>欄)

昭和三八年一二月九日支払の一二、七二〇円は、元本八〇万円に対する昭和三八年一二月九日から昭和三九年一月三〇日までの五三日間、日歩三銭の計算による利子であるが、昭和三八年一二月三一日までの利子五、五二〇円は昭和三八年分であるから否認する。

5 売渡経費について

(一) この点についての原、被告双方の主張額は、別表三の<コ>欄のとおりであるが、ここでは、同表の番号欄(5)の土地に関するものについて主張する。

(二) 右土地の売渡経費は、八六、四九四円である。

原告は、これに総額二八九、四九四円を要したとしている。

しかしながら、このうち、亀屋不動産商事分五四、〇〇〇円、昭和地所分一四九、〇〇〇円は、次のとおり、右の経費とは認められない。

すなわち、亀屋不動産商事は、本件土地取引に関与していないし、また、昭和地所分は、藤巻春子が負担しており、甲六号証の七の領収書は、藤巻春子の父が原告に貸したものである。

6 自動車税二〇、〇〇〇円について

これは、雑費に含めて既に控除済みである。

7 接待交際費九二、四〇〇円、旅費一五八、〇〇〇円および郵便切手一二一円について

これらについては、支払いの事実が認められないし、原告も原処分調査の際には申立てていないので否認する。

8 新聞代三、五〇〇円、電力代二五、三〇〇円、ガス代一〇、六〇〇円および水道代二、五〇〇円について

これらについても支払いの事実が認められないのみならず、これらは、家事関連費用であるから、原告のように白色申告者の場合は、事業上の経費であることが明確でない限り必要経費とならない(旧所得税法一〇条二項但し書、同法施行規則一〇条の二五)ところ、右明確性について立証がないので否認する。

9 自動車保険二一、五八〇円、文具代一、三八〇円およびガレージ貸料四、〇〇〇円について

これらは、いずれも雑費に含めて既に控除済みである。

第五 譲渡所得の金額について

一、原告の昭和三九年分所得税の課税標準としての総所得金額に算入される譲渡所得の金額は、別表一譲渡所得の計算書のとおり六七二、七二二円である。

二、譲渡所得の計算細目

1 総収入金額一、六六三、四八〇円の内訳明細は次のとおりである。

(一)(1) 譲渡物件(甲)

(イ) 大分市上戸次脇ノ津留四六九九の一

宅地 二二五、四〇坪

(ロ) 右同 四六九九の二

宅地 三一、六二坪

(ハ) 右同 四六九九の四

宅地 七四、一四坪

(2) 譲渡年月日 昭和三九年三月二日

同年一〇月二二日

(3) 譲渡価額 九九三、四八〇円

(4) 譲渡先氏名 建設省

(二)(1) 譲渡物件(乙)

(イ) 大分市上戸次字山崎 四、七五〇 畑二畝一二歩

(ロ) 右同 四、七五一 畑四畝一七歩

(ハ) 右同 四、七五四 畑三畝〇二歩

(2) 譲渡年月日 昭和三九年五月一九日

(3) 譲渡価額 一七〇、〇〇〇円

(4) 譲渡先氏名 衛藤直

(三)(1) 譲渡物件(丙)

(イ) 大分市上戸次字一丁畑 四〇三〇 畑 一反二二歩

(ロ) 右同 四〇三三 畑 一反三畝一四歩

(ハ) 右同 四〇三四の二畑 六畝二二歩

(2) 譲渡年月日 昭和三九年六月九日

(3) 譲渡価額 五〇〇、〇〇〇円

(4) 譲渡先氏名 高橋忠一

2 総収入金額から控除される取得価額の計算については、右各譲渡物件を原告が昭和一四年一一月一九日相続により取得し、昭和二七年一二月三一日現在においても引き続き所有しているから、旧所得税法一〇条の五、三項が適用される。

そこで、同条項ならびに同法施行規則一二条の一九、四項によれば、昭和二八年一月一日現在における相続税および贈与税の課税標準の計算について用いるべきものとして国税庁長官が定めて公表した方法により計算した価額(賃貸価格に所定の倍率を乗じた価額)をもって取得価額とされる。

右によって取得価額を計算すると、別表一の<エ><オ><カ>の各欄のとおり

譲渡物件(甲)の取得価額 五五、六〇八円

譲渡物件(乙)の取得価額 九、三二〇円

右 同(丙)の取得価額 八七、二四八円

となり、合計額は一五二、一七六円となる。

3 譲渡経費は、別表一の<キ>欄のとおり譲渡物件(乙)三、四一五円と譲渡物件(丙)一二、四四五円の合計一五、八六〇円である。

三、被告の反論

1 原告は、次の資産(以下取得資産という。)を昭和三九年七月五日訴外栗木セイから購入しており、この取得資産は、前記譲渡物件(甲)に対する措置法三一条一項の代替資産となり、また、前記譲渡物件(乙)および譲渡物件(丙)に対しては措置法三八条の六、一項の買換資産となるから、前記各譲渡のいずれについても課税関係は生じない旨主張するが、以下詳述するごとく、かかる主張は失当というべきである。

取得資産

イ 大分市大字小池原字向原一八三七の三〇 畑 七畝一五歩

ロ 右 同 一八三七の三一 畑 八畝一二歩

ハ 右 同 一八三七の三五 畑 五畝〇九歩

ニ 右 同 一八三七の三七 畑 五畝〇三歩

ホ 右 同 一八三七の二九 畑 一反四畝〇三歩

2 措置法三一条一項の適用について

原告は、前記建設省の収用にかかる譲渡物件(甲)については措置法三一条一項の適用がある旨主張するが、同条項の適用を受けるためには代替資産がたな卸資産でないことを要件とする。

すなわち、譲渡資産は旧所得税法一〇条の二、一項に規定するたな卸をなすべき資産を除く資産であり、かつ、代替資産は譲渡資産と同種の資産その他これに代わるべき資産でなければならない。

原告の主張する譲渡物件(甲)は、先祖伝来の宅地であり、たな卸資産以外の資産であって特に問題はないが、代替資産であるとする前記取得資産は、原告の不動産売買業におけるたな卸をなすべき資産(たな卸資産)に該当するものである。

措置法三一条は、収用等不本意な譲渡原因による場合に課税延期の特別措置を講ずる趣旨の条項であり、その対象はいわゆる資本的資産についてのみ適用されるものであるから、原告の主張は容認できない。

3 措置法三八条の六の適用について

原告は、前記譲渡物件(乙)および同(丙)については措置法三八条の六、一項の適用がある旨主張するが、同条項の適用を受けるためには買換資産につき、それを取得した日から一年以内に事業(本件の場合は農業または山林業。)の用に供し、または供する見込みであること、すなわち事業用資産として活用することを必要とするとともに、前記2の場合と同様、旧所得税法一〇条の二、一項に規定するたな卸をなすべき資産を除く資産でなければならない。

ところで、原告が買換資産として取得したと主張する前記取得資産は、原告が取得後一年以内に事業の用に供した事実もなく、前述のとおり、原告の不動産売買業におけるたな卸をなすべき資産(たな卸資産)に該当するものである。

措置法三八条の六は、事業がその立地条件の再編成、工業開発地域等へ進出しようとする場合に従来所有していた事業用資産に対する譲渡所得の課税によってその目的が阻まれることとなるので、特定の事業用資産に対する譲渡所得の課税について一定の条件を備えた場合に課税延期の特例を認めることによって、その障壁を排除し、その促進をうながす趣旨の条項であり、その対象は、いわゆる資本的資産たる事業用資産についてのみ適用されるものであるから、原告の主張は容認することはできない。

4 本件取得資産のたな卸資産性について

前記1の各取得資産の所在地は、大分市大字小池原字向原にあって、原告が昭和四一年三月三一日大分県開発公社の明野団地用地として売却しているものである。

右取得資産の所在地を含む周辺一帯は、大分県が新産業都市建設の開発計画を推進している大分鶴崎臨海工業地帯の後背地住宅団地開発地域の中心地帯であり、かつ、原告が右取得資産を購入した時よりも以前である昭和三六年二月一八日前記開発公社は、その隣接土地を第一回の買収地区として取得し、開発に着手していたばかりか、右取得資産は、原告が取得する以前から右開発公社の買収予定地に入っており、買収交渉も進められていたのである。

右事実に、原告は、右取得資産を何ら利用することなく放置していること、右取得資金は高利を含む借入金で賄われていること、右取得価額二〇〇万円(反当り約五〇万円になる。)は、異常に高額であること(右反当り取得価額五〇万円は、原告が昭和三五年に牧弥六から取得した乙一〇六号証の一の番号一~七の土地の反当り取得価額約八五、〇〇〇円に比べて、四年間に約六・五倍に値上りしていることになる。)および原告は、昭和三五年に右取得資産の周辺地を広範囲に亘り買占め、かつ、これを全く管理せず放置していたことを合わせ考えれば、原告は、他に転売することによって利益を得るために右資産を所得したというほかはない。してみれば、右取得資産は、不動産売買業のためのたな卸資産に当るというべきである。

5 措置法適用のための手続的瑕疵について

譲渡物件(甲)の所得に対し措置法三一条の適用を受けるためには、その旨確定申告書等に記載すべきであるのに(同条五・六項)、原告は、昭和三九年分所得税の確定申告書に「措置法三一条の適用を受ける。」旨の記載をなさず、「政令で定める事項等」に関する記載も行なっていない。

また、譲渡物件(乙)および同(丙)の所得についても右と同様(措置法三八条の六、四・五項)に、「措置法三八条の六の適用を受ける。」旨の記載をなさず、「政令で定める事項等」に関する記載も行なっていない。

したがって、本件の争点である前記譲渡物件(甲)に対する措置法三一条一項の規定の適用ならびに譲渡物件(乙)および同(丙)に対する措置法三八条の六、一項の規定の適用については、いずれも、その実体的要件を充足していないばかりでなく、手続的な要件をも欠くものであるから、原告の主張は失当といわなければならない。

しかるに、原告は、「昭和一四年相続により取得した農地を売却一年以内に買替したもの」と題する書面を被告職員の指示に従って提出した旨弁解する。

しかしながら、右書面には、措置法の適用条文さえも記載されておらず、手続の体をなしていないし、また、そもそも税務署には措置法適用関係諸用紙を備え付けてあるから、被告の職員が原告主張のような書面の作成、提出を指示する筈はなく、事実、右書面は被告に提出されていないのである。

6 また、原告は、原告が昭和三九年七月五日に訴外栗木セイから取得した大分市大字小池原字向原一八三七-二九外四筆の土地について、被告は、更正処分の際にはこれを代替資産であると認めておきながら、本件訴訟ではたな卸資産であると主張しているのは違法である旨主張する。

しかしながら、右土地がたな卸資産であることについては、前記のとおりである。

被告が更正処分の際この認定を誤ったのは、原告が虚偽の申告をしたことに基づくものであるから、原告がこの点をとらえて被告を非難するのは不当というほかないが、それはともかくとして、本件においては、「処分当時譲渡所得と評価していた所得を訴訟において事業所得ないし雑所得と評価して主張するのに過ぎないのであるから、右主張はもとより許されるものというべく、かかる主張を許すことは何ら租税法律主義に反するものではない(高松地判昭四八・六・二八、行集二四巻六・七号五一一頁)。」

別表一

譲渡所得の計算書(昭和三九年分)

<省略>

別表二

事業所得の収支計算書(昭和三九年分)

Ⅰ 総収入金額

1 資産の売掛金額 七〇、一八五、九〇〇

2 雑収入金額 三九、六〇九 七〇、二二五、五〇九

Ⅱ 必要経費

1 売上原価

(1) 資産の取得価額(別表三) 四五、三二五、五一〇

(2) 取得経費(別表三) 一、四四三、九三一 四六、七六九、四四一

(売渡差益金額) 二三、四五六、〇六五

2 雑費

(1) 売渡経費(別表三) 一、六三七、五八八

(2) 電話料 九四、〇五一

(3) 自動車修理費 二一、七〇〇

(4) 燃料費 九一、二九一

(5) 雑費 三五、〇七〇

(6) 減価償却費(自動車) 一六四、三四〇

(7) 借入金利息 七、七八〇、五〇三 九、八二四、五四三

必要経費計 五六、五九三、九八四

Ⅲ 事業所得の金額 一三、六三一、五二五

(Ⅰ-Ⅱ)

別表三

資産の売上金額・売上原価および直接経費等明細表

<省略>

別表四

借入金および支払利子明細表 (昭和39年)

<省略>

〔合計表の部〕

<省略>

資料1

公的機関に買収された資産の状況表

<省略>

(注)1. 原告が昭和35年から同39年までの間に取得した物件について、昭和51年12月31日現在で作成した。

2. 「取得年月日」欄のかっこ書は、原告主張の取得年月日を示す。

3. 「取得価額」欄のかっこ書は、取得価額をあん分計算して算定した額である。

資料二

本表

有限会社 葛城酒造場の利益の状況表

<省略>

(注)一、△印は、欠損(赤字)を示す。

二、会社計算利益の額は、乙第一二〇号証の五の下方中央部の「会社計算利益」の欄及び乙第一〇号証の二ページの下から一行目を各参照。

三、造石権使用料は、葛城節三に対して支払われた額であり、乙第一二〇号証の七及び八の「酒造権使用料」各項並びに乙第一〇号証の九ページの「酒造権使用料」の欄を各参照。

四、委託料収入は、乙第一二〇号証の七及び八の「酒造権貸与収入」に関するメモ、並びに乙第一〇号証七ページの「雑収入の内訳書」の下から四行目を各参照。

五、委託醸造は、書類上の手続のみで収入を得ることができるため、葛城酒造の場合、造石権使用料以外には殆んど費用を要しないので、造石権使用料以外の費用は捨象したところで、委託醸造に係る利益の額を計算した。

付表

有限会社 葛城酒造場の委託醸造の状況表

<省略>

(注)一、委託前の基準指数二〇二、四(乙九、九二の一、二)の内訳等は次のとおりである。(乙一二〇の一の下から七、八行目・乙一二〇の七の上段部各参照。)

従前からの有限会社葛城酒造場の 基準指数 一六五・七

昭和三五年一一月一五日に復活した葛城節三の

<省略>

二、委託料収入については、前記本表の「(注)四」参照。

三、委託した基準指数は、昭和三五事業年分については、実績値により(乙九二の一、二)、また、昭和三四事業年度以前の分については、各年度の委託料収入を、昭和三五事業年度分における基準指数一当りの委託料収入平均単価一八、五六三円(委託料収入三、二六七、二〇〇円÷委託した基準指数一七六=一八、五六三円)で除して、それぞれ算定した。

資料三

一、原告が、有限会社葛城酒造場から買受けた後に、、建設省に収用された物件の明細

<省略>

(注)一、家屋に対する移転補照金については、原告は当該建物を取崩しただけで(古材は旅館楓館の建築に使用している。……乙三二号証の四の一枚目の「二」参照。)、実際には移転していないから、対価補償と変らない。

二、土地三一一坪に対する「C」欄の補償金七七七、五〇〇円は、建設省の土地一坪当り収用価額二、五〇〇円(全体の土地収用代金一、八四一、九五〇円÷全体の収用面積七三六・七八坪=二、五〇〇円。……乙五号証の下から九行目のイを参照)に地積三一一坪を乗じて算定した。

二、有限会社葛城酒造から買受けた物件を建設省に収用されたことにより、原告が受けた利益

(1) 建物

譲渡価額(補償金)六、九六四、九四八円(イ)

取得価額一、二〇一、七五一〃(ロ)

差引利益五、七六三、一九七〃(イ)-(ロ)

(2) 土地

譲渡価額(補償金) 七七七、五〇〇円(ハ)

取得価額 一六七、九四〇〃(ニ)

差引利益 六〇九、五六〇〃(ハ)-(ニ)

(3) 合計(利益)五、七六三、一九七円+六〇九、五六〇円=六、三七二、七五七円

参考

原告が受けた補償金の内訳(乙二、三、五号証)

<省略>

(注) 内書は、原告が昭和三五年一〇三日付で、有限会社葛城酒造場から買受けた物件に係る部分の補償金である。

別紙第二

原告の主張

第一部 被告の主張に対する答弁と反論(項目の番号、符号は、別紙第一「被告の主張」に対応するものである。)

第一

一、課税の経緯は認める。

二、争う。

第二

一、争う。

二1 争う。

2 (一)ないし(六)とも認める。

3 争う。

4 争う。

5 (一)(二)とも認める。

6 (一)(二)は認め、(三)は争う。

第三

一、争う。

二1 原告がそのように主張していることは認める。

2(a) 土地収用法による補償金は譲渡所得として申告すべきものであるとの被告の主張は不当である。

右補償金は収用を拒否することにより強制収用を受けることとなるものであるから譲渡というよりは没収に対する補償とでも言うべきものであって所得税法に言うところの譲渡所得が資産の任意譲渡の対価の金額であるのとは異る。被告の主張は「本来所得税法により納税すべき譲渡所得税を承認申請書提出により納税は行なわなかった」ものとするけれども収用譲渡の税金は本来租税特別措置法の適用を優先させ税の徴収は行わないことを建前として立法されているのであるから、被告は同措置法所得税法の適用の順序を誤り反対に解釈している。

(b) 原告は昭和三七年三月一五日附を以て乙第一号証のとおり取得価格の見積額として二、九〇〇万円の承認申請書を提出したのであるが、右見積額の承認申請の内容は、

土地見積価格 一、九〇〇、〇〇〇円

居宅 〃 一一、四五五、九五九円

家屋外の工作物 七、三八五、九四五円

計 二〇、七四一、九〇四円

である。

(c) 次に乙第四号証による二〇、七四一、九〇四円と乙第一号証の見積承認申請額二、九〇〇万円の差額八、二五八、〇九六円につき検討する。原告は、乙第四号証の合計は概ね二、九〇〇万円となるべきものであり、原告が乙第四号証提出の際は、

(イ) 土地 一、九〇〇、〇〇〇円

(ロ) 居宅 一一、四五五、九五九円

(ハ) 家屋外の工作物 七、三八五、九四五円

計 二〇、七四一、九〇四円

酒造業用地収用代替資産取得

別表第一表1ないし4(「被告の主張」別表(1)ないし(4))

八、四三八、九八〇円

合計 二九、一八〇、八八四円

となるところから取得価格の見積額を二、九〇〇万円として提出したのである。即ち、右差額八、二五八、〇九六円の実体は、第一表1ないし4の取得価格八、四三八、九八〇円であって殆んど一致する。

本件における原告主張の正当性、被告主張の不当性は右二、九〇〇万円のうち代替資産として、第一表1ないし4の八、四三八、九八〇円がふくまれるかどうかにかかっている。乙第四号証の真正の合計は二九、一八〇、八八四円でありその内に第一表1ないし4がふくまれているものであるが、乙第四号証には更にもう一枚添付されていたものを被告において省略しているのである。

(d) さらに旧措置法三一条二項の規定並びに乙第四号証乙第一号証の関係につき論ずる。

旧租税特別措置法三一条二項の規定は取得価格の見積額の承認申請書を提出する規定であるが、被告の主張は右規定の見積額を物件を特定しなければ無効であるとの理論にすりかえた上で「歴年に亘り一貫した課税方式をとる所得税法では許されない」としている。即ち、原告が大分市長浜の土地建物を代替資産として承認申請を行った以上後になってから第一表1ないし4が代替資産であるといってもそのような代替資産を変更することは認めないというのである。同措置法三一条二項は見積額及予定年月日の承認申請の提出を求めているのであって、特定物件を申請するように規定していないのである(同措置法施行規則一三条四項、取得する予定の代替資産についての取得予定年月日及び見積額を申請するのであるから物件名表示は法適用の要件でない。物件の変更があって価格が変れば修正申告又は更正請求を行えば足りるのである)。何故乙第四号証か代替資産として被告に提出されたかは不明であるが仮に乙第四号証が代替資産であると原告が申出たとしてもこれを変更して第一表1ないし4を代替資産として買換しても、同措置法三一条の適用を排除する理由は全くないのである。本件では前記申請額二、九〇〇万円が一六、五五七、九〇八円以下にならない限り原告としては修正更正申告書の提出の必要がないのである。

この点からも被告の主張は理由がない。

3(一) (1)(2)は認め、(3)は争う。(3)の取得価額は一九〇万円、売渡人は葛城浩三である。原告の実弟葛城浩三が大分信用金庫から買受けた(3)の土地を昭和三五年一二月二五日原告が買受けたものである。

(二) 認める。ただし、代替資産には、第一表1ないし4の土地が含まれる。

4 争う。原告は、見積額二、九〇〇万円の承認申請書を提出したが、その内容は前記のとおりであるから、「別表三(1)ないし(4)の資産を取得したことが上戸次の土地建物の代替資産とするものでなかったことが明らかである。」との被告の主張は不当である。被告は収用代替資産は二〇、七四一、九〇四円であるとしながら、乙第一号証の二、九〇〇万円との差額をどのように説明しょうとしているのであろうか。

5 争う。

原告が主張する代替資産は被告の主張する(1)ないし(4)の土地をも包含するものであるから、被告の主張はその前提を誤っている。なお又、

(a) 被告は、「原告自らの選択によって…………」と主張するが同措置法及び政令は代替資産を選択しこれの見積額の承認を求める規定はあっても物件を届出てこれを変更することは一切認めない、変更すれば収用代替資産買換は不成立であるとの規定は存しない(尤も本件では仮に右のような被告が措置法の規定を解したとしても原告は、収用代替資産を取得したことを妨げられることにはならないけれども)。まして「原告の主張は歴年にわたって一貫した課税方式をとる所得税法――……」との主張は具体的にどのような主張をしょうとしているのか明らかでない。同措置法三一条二項を右被告主張のごとく解することは、判例学説にもその例をみないところである。

(b) 被告が歴年に亘り一貫した課税方式をとるのが所得税法の本旨であるとするならば第一表1ないし4の資産を三六年に取得したとき、被告は原告が昭和三六年分以降の所得の申告に対する更正に際し、事業所得のたな卸資産を取得したものとして処分したのであろうか。即ち、例えば第一表1ないし4の固定資産税は、不動産の原価を構成せず支出年度の必要経費となるとの被告の主張(第四の三、2(四)の表の番号欄(9))であるから三七、三八年度において支出した第一表1ないし4にかかる固定資産税を事業所得の必要経費として追認したであろうか。所得税法は納税義務者が損金又は益金の額を主張しなくとも損金又は益金に該当する限り被告はこれを計算すべき義務を負っているのであるから、第一表1ないし4の土地を事業用たな卸資産として認定したのであれば、右の固定資産税は原告が申出なくとも原告の所得より控除して所得金額を計算すべき義務を被告は負っているのである(この点法人税の諸計算において例えば法人が損金に計算しない減価償却費等を国が進んで追認することは行わないのと対照的である)。被告は別差三(1)ないし(4)は事業所得のたな卸資産であると主張してもこれに相当する処分を三六ないし三八年度に亘り行ってはいないのである。原告の本件主張に際し、にわかに態度を改めて収用代替資産でなく事業所得のたな卸資産を取得したと主張し出したにすぎないのである。

(c) 以上のとおりであるから、原告が昭和三六年分収用代替資産取得価格見積額を二、九〇〇万円として承認申請し、このうちに第四枚目に別府市南石垣の酒造業用地を代替資産としてふくめて申請したところ、被告は乙第四号証の合計二〇、七四一、九〇四円と表示してある部分の土地建物で収用代替資産の取得価格は充分足りるので、第一表1ないし4の別府市南石垣の土地を特に収用代替資産として認定する必要がなく三六年以降収用代替資産、たな卸資産のいずれとも処分をせずに三九年度に至り譲渡したので、これを事業所得のたな卸資産と認定することにより第一表1ないし4の譲渡を事業所得として課税したのが被告の本件に対する処分の真意であったのである。

三、争う。

四、争う。

五1 冒頭の一般論は認めるが、その余は争う。

2 争う。

なお、代替資産の取得資金が借入金によっているとしても、租税特別措置法三一条二項不適用の理由とはならない。国税庁長官通達昭和三五年一月一六日直資三、直所一-二の九のとおりあらかじめ取得することもあり得る。何等同措置法の収用代替資産取得の成立を妨げるものではない。借入金により収用代替資産を取得し収用補償金は借入金の返済にあてずに他の用途に運用し、借入金は他の方法により別の時期に返済することが措置法関係収用代替資産取得(三一条のみでなく同条より三七条まで及び法人税の相当規定をふくむ)不適用の理由であるとするならば殆んどの納税者はこれら買換規定の適用は受けられなくなるのであろう。収用代替資産の取得時の資金操作は租税特別措置法三一条二項の適用不適用とは何等関係のないことである。

また、被告は、昭和三五年以降の不動産売買状況により被告の主張を理由付けようとしているが、原告は昭和三九年八月からは不動産業をも経営するに至っている。したがって同年七月以前の不動産の取得、収用、売却を目して継続的に不動産の購入行為及び売却行為を反覆継続的に行った旨の結論は早計のそしりを免れない。

乙第一〇六号証の二掲記の(38)(41)ないし(78)の墓地の取得によってあたかも原告が、将来他に転売して利益を得る為に買受けたもののごとき主張をなすが、不当である。

なお、39、40は買受けていない。73は二坪である。右墓地は一筆二坪ないし四坪の狭小のものであるから、外形的に筆数売買件数が多いように見えるにすぎない。原告は昭和三六年八月五日訴外横江征一に対して金九〇万円を弁済期昭和三六年一〇月五日利息月一分五厘の約定にて貸渡した。しかるに同訴外人は弁済期が到来しても元利金の支払いができない為、同支払に代えて、本件墓地を原告に譲渡したものである。即ち、原告は止むなく訴外人から代物弁済として本件墓地の譲渡を受けたものである。

第四

一、本表番号(8)(11)ないし(28)の原告欄記載の各金額は認めるが、その余の部分については争う。

二1 争う。

2 争う。

即ち、当初原告と訴外藤巻春子との間に乙第一三号証の一と同一内容の売買契約が締結された。しかし、同訴外人において代金額が三、二二五、〇〇〇円と言う高額では到底父の許しを得られない。父に見せる為せいぜい一九五万円の代金となっている売買契約書が欲しいと言うので、代金額三、二二五、〇〇〇円を分割して代金一九五万円の売買契約書一通と代金一、二七五、〇〇〇円の売買契約書一通とを作成するに至った。従って乙第一三号証の一の売買契約書は売主、買主双方共に捺印をなすに至らずして、廃棄された契約書である。そして、その後同訴外人から右代金を三〇〇万円に値切られたから、結局原告か売渡代金として同訴外人から支払受けた金額は金三〇〇万円である。

確定申告から修正申告に至る経緯に関する主張は争う。即ち、原告方の臨時事務員牧東が確定申告書作成に当つて、乙第一三号証の二の契約書以外に代金一、二七五、〇〇〇円の契約書が存することに気付かず、記載洩れとなった侭、確定申告をなしたが、その後仲介業者に紹介した結果、右記載洩れが判明したから修正申告をなしたのである。調査官小田部倹が調査していること等は原告において知る由もないのであるから被告の主張は不当である。

3 争う。

別府市大字鶴見字とげ石一、七〇三番の四原野三六七・五九坪は訴外渡辺亘から坪当り金四、五〇〇円の割合による合計金一、六五一、五〇〇円で買受けたものであるが、之を分割して内一四〇坪を訴外渡辺忠義に対し坪当り金三、二五〇円の割合による合計金四五五、〇〇〇円で売渡して損害を受けたが、残り二二七・五九坪は訴外伊田俊雄に対して昭和四〇年一月二一日坪当り金六、〇〇〇円の割合による合計金一、三六二、〇〇〇円で売却した。

右両者の売渡代金の合計は金一、八一七、〇〇〇円となるから全体として利益を上げている。

一筆の土地を分割して売却する場合には双方の立地条件に差異を生ずる結果両者の売渡価格に高低の差異を生ずるは当然の事であって異とするに足りない。

4 争う。

被告の主張は、不動産を分割して売却する場合には、分割された各土地間で立地条件に差異を生ずる結果その価格にも影響し各土地の価額に差異が生せざるを得ないことを無視した暴論である。

即ち、沼口トシ子、小野馨に売却した土地は原告がかねて首藤郡平から買受けた大分市大字大分字サイノモト二、六四六番の三、田四一五・五〇坪の一部である。原告は、右四一五・五〇坪を三個に分割し、一部は市原建設株式会社に、一部は沼口トシ子に、一部は小野馨にそれぞれ売渡した。そして、原告は市原建設株式会社に売渡した分は坪当り金一一、八〇〇円、沼口トシ子に売渡した分は坪当り金八、〇〇〇円、小野馨に売渡した分は坪当り金一四、〇〇〇円であった。分割された各土地の立地条件が異る結果生ずる当然の帰結である。

3および4について更に次のとおり主張する。

(a) 所得税は申告納税制度を基礎として、実額課税を基本としている。

しかるに推計課税は、その申告を無視し、かつ推計にもとづく近似値をもって課税標準を更正若しくは決定するものである以上、それは所得税法に規定されている申告納税、実額課税の制度を崩壊せしめる要素を含んでいる。従ってその適用には厳格な制限がなさるべきものであって、推計課税をなさざるをえない、やむをえない事由が存するときに限る。

即ち、納税者の申告のもとになった資料による課税を認めることを著しく困難ならしめる事由が存在することや納税者の協力が正当な事由もなく得られず、かつ他の資料から実額課税をしょうとしてもそれが困難である等推計課税をなさざるをえない事由がある場合に限り、推計による課税が許される。

又、右事由が存してもその推計方法が適正であり、かつその推計の結果も不当なものでなく、客観的に見て合理的なものであるべきことは論をまたない。けだし推計は、あくまでも推計であり、近似値をもって課税の対象とするものであるからである。

(b) ところで、被告が推計課税を適用した事由は互に隣接する土地の売買単価の価格差が著しいため、その売却単価をもとにした売却価額は措信しがたいというのである。即ち、

市原建設株式会社 坪当り 一八、五〇〇円

沼口トシ子 坪当り 八、〇〇〇円

小野馨 坪当り 一四、〇〇〇円

である。

なるほど右三筆の土地の立地条件が同一、もしくは近似している状態にあり、かつ販売の日時、条件が同一であれば、被告主張のごとくその売却単価が著しく相違している限りその売渡価額は措信しがたいこととなるであろう。しかし、三筆の土地相互の間に価格差を生ぜしめる合理的な事由が存することは前記のとおりであって、何んら不当なものでないのであるから、被告の推計課税は法律上の根拠を欠き違法と言わざるを得ない。

(c) なお、被告主張の推計課税によれば次のように不当な結果を生ずる。

即ち、被告主張の売買手数料に基き前記土地の売渡価額を推計すれば次のとおりとなる。

沼口トシ子 一、一〇〇、〇〇〇円

小野馨 一、一六八、〇〇〇円

その結果坪当り単価は

沼口トシ子 一、一〇〇、〇〇〇÷五〇(坪)=二二、〇〇〇円

小野馨 一、一六八、〇〇〇÷七三(坪)=一六、〇〇〇円

沼口トシ子の土地より立地条件の優れた小野馨の土地の単価が安い結果となるのであって、被告主張の理由のないことが裏づけられたと言うべきである。

5 争う。

(一) 被告主張の大分郡湯布院町大字川北字米山八九六番地の二原野九町一反一九歩の売買は、原告の関知しないところであって、原告は同物件の所在及び旧所有者を全然知らない。そして、被告提出の乙第三六号証によれば同物件の買主が明治開発株式会社であることが明白である。

(二)の(1)ないし(10)、(三)、(四)

明治開発株式会社別府営業所の社員手嶋某が荒尾政英名義で、昭和三九年九月七日大久保一二三等一四名と大分県大分郡湯布院町大字川西一、二〇一の一原野捨町歩の売買契約を締結し、即日手付金二〇〇万円(甲第一五号証の四)を支払ったが、残代金の支払に窮したため右手嶋において、原告に右原野の買受方を依頼して来たので原告と大久保一二三等との間に本件原野の売買契約が締結されるに至ったのであるが、同売買契約は手嶋某が荒尾政英名義で締結した前記売買契約と同一の条件であるため、改めて売買契約書を作成する手数を省いて、甲第一五号証の一(土地売買契約書)および甲第一五号証の二(念書)の引渡を受けると共に、原告が手嶋某に対し、二〇〇万円を交付することによって大久保等が手附金二〇〇万円を一旦手嶋某に返却し更に原告から同手附金の交付を受ける煩を避けて甲第一五号証の四(領収書)の引渡を受けた。

そして、原告は翌四〇年一〇月頃湯布院町に本件原野を売渡す交渉を始めた。

そこで、湯布院町は大久保一二三等と荒尾政英との間の売買契約が解除されていなければ将来に禍根を残す事を慮って、右売買契約の解除に異議がないかどうかを確める為の文書を発送したところ実在しないことを理由に返戻された。湯布院町から原告に対しその旨通知して来たので原告も初めて荒尾政英が実在しないことを知った。湯布院町としては大久保一二三等と荒尾政英との間の売買契約が解除されていることが確認されなければ原告との売買契約を締結することができないと言うので、原告において、前記手嶋某に解除方を交渉しょうとしたが、折柄明治不動産株式会社は支払停止処分を受けて破産寸前にあった為か、手嶋某の所在が判明しなかった。そこで、原告は大久保一二三に交渉した結果、同人において土地売買契約解除同意書(乙第二〇号証)を作成して来たが、手嶋某から荒尾の押印を得られる筈はなく止むなく原告は荒尾の印をつくって、捺印した上手渡した。それ故乙第一八号証の一の契約書の荒尾の印と乙第二〇号証の解除契約書の印は異っているのである。

かくて、原告と湯布院町間の売買契約書(乙第二一号証の一、二)が昭和四〇年一一月締結されるに至ったのである。

之を要するに、本件売買から推論して、右5の(一)の原野の買主が原告である旨の主張は牽強付会も甚だしい。

(二)の(4)

(イ)明治開発株式会社に対する貸金の支払を受けたものであって被告主張の事実と全く関係がない。(ロ)ないし(ヌ)は、原告において関知しない事であって、被告主張のごとくであるならば、甲第一五号証の五ないし一〇と被告が(ロ)ないし(ヌ)に列挙する支払の日時金額が一致する筈であるが、全然一致していない。

なお、又(ホ)ないし(ヌ)が現金にて支払われた等被告は如何なる資料に基いて主張するのであるか。

土地代金の支払として(ヘ)の一一三、四〇〇円とか(リ)の三二万円とか、(ヌ)の一六六、〇〇〇円と言うごとく端数の支払方法が取られることはあり得ない。

訴外明治開発株式会社別府出張所は土建業佐野ブルドーザーに道路工事を請負わせようとしたが、道路工事請負代金支払のために振出される訴外会社の約束手形を信用しないため佐野ブルドーザーの請負方承認を得られなかった。そこで、訴外会社が原告に約束手形の貸与方を依頼して来たので、原告は之を承認した。その結果佐野ブルドーザーは道路工事を請負ったのであるが、原告は訴外会社に対し約束手形六、七枚(金額の合計二七〇万円位)貸与した。訴外会社は右約束手形の各満期に現金又は小切手を原告方に持参し手形決済をなし完済している。佐野ブルドーザーの関係に付いての原告の主張は、原告が明治開発株式会社から金を受取ったことはこの関係のものしかない事を明白ならしめる意味でなしたものに他ならない。従って、原告が明治開発株式会社に貸した金の返済金合計が僅少であることを以って、被告主張の如き売買があったことの反証となし得ない。ちなみに右道路工事は(17)の原野に横断道路から通ずる道路の開発工事に関するものである。

なお、明治開発株式会社は昭和三九年一二月支払停止処分を受け、昭和四一年七月一九日大阪地方裁判所において破産宣告を受けた会社であることによって、佐野ブルドーザーが明治開発株式会社の約束手形を信用しなかったことが首肯されるであろう。

(6) 雑収入金三九、六〇九円

被告が之を収入として計上するならば、それは原告が市原建設株式会社の仲介人阿部敏行に対して支払うべき売却日時から代金支払日時までの利息並びに支払った飲食費に該当するから、売買契約締結の経費として計上すべきである。

三1 争う。

2 争う。

3 たな卸資産を買入れた日から昭和三八年一二月三一日までの利息の原価性について。

原告は、たな卸資産の価格に利息をふくめた価格をもって売上原価としているのであるが、被告は「その年中の収入金額から必要経費を控除する」所得計算の規定から支払利息をたな卸資産の価格に含めることを否認する。

たな卸資産取得の日から販売の日までの利息を原価に加算すべきか或は事業所得の計算上各発生年度の必要経費として認めるかについて旧所得税法は、これを明確に規定していない。旧所得税法施行規則一二条の一二の規定では、たな卸資産を消費し販売の用に供するため直接要した金額を含むものとすると規定し、又行政通達(被告の税務執行のための基準で原告を拘束するものではないか)昭和三五年直所一-一一(82)たな卸資産の購入に要した借入金の利子は原則としてこれをそのたな卸資産の取得価額に算入しないことに取扱うこと。とある点から見ても利子をたな卸の取得価格に計上することが違法の計算ではなく、むしろ法、施行規則の主旨からみれば納税義務者の選択に委ねられているものと言うべきである。即ち、原告がたな卸に支払利息の額を加算した計算は違法ではない。旧所得税法九条一項四号は、負債利子のたな卸加算の当否には無関係である。

被告が三九年度の利息の損金を否認するのであれば、三八年度以前の右利息の損害を認容し各年度の所得を減額更正すべきであったが、被告は右の処理をせず、単に三九年度の損金性を否認するのは、被告の言う「歴年に亘り一貫した課税方式を採用する」旨の主張と一貫しない。被告は、原告が支払った利息は税法上のどの所得の損金にも該当しないというのであろうか。原告は右支払利息は、三九年度末においては原告が不動産業の事業所得に該当する所得がある以上、右支払利息は販売資産の取得原価に算入すべきものと主張する。

4 三九年度分の必要経費に算入される利子について。

被告が否認する支払利子は、三八年度前の未払利息及び四〇年度の前払利息計一、三八一、〇八八円であるが、一年以内に損金となる費用については、法人税法においては、期間損益の届出を提出することにより前払利息も損金に認容されることになっているものであるが、所得税法においては右法人税法に相当する規定がない。右前払利息は、概ね一年以内に損金となるものであるから特に課税年度の区分を厳格に行い、否認更正することには異論があるけれども、若し被告の処分に従うとすれば、被告が四〇年度において、ハ、ニの前払利息を認容したように三八年度分のイ、ロを三八年度において認容しなければ被告主張の論旨は一貫しない。

5ないし9争う。

第五 譲渡所得の金額について

この点に関する答弁と主張は、後記のとおりである。

第二部 原告の主張

第一 争点の整理

原告の昭和三九年分所得金額は、

配当所得 五一〇、〇〇〇円

事業所得 △一〇、六三七、四〇三円

譲度所得 七、七九一、〇二二円

雑所得 四〇、〇〇〇円

総所得金額 △ 二、二九六、三八一円

であり、その内訳は、つぎの「事業所得主張額対照表」及び「譲渡所得収支計算書主張額対照表」記載のとおりである。

これに対し、被告は、原告の所得は、

配当所得 五一〇、〇〇〇円

事業所得 一三、六三一、五二五円

譲渡所得 六七二、七二二円

雑所得 四〇、〇〇〇円

総所得金額 一四、八五四、二四七円

であると主張する。

事業所得主張額対照表

原告主張(原告第七回準備書面)被告主張(被告第一〇回)

<省略>

<省略>

譲渡所得収支計算書主張額対照表

<省略>

第二、別表第一表及び第三表記載の不動産譲渡について

一、別表第一表の不動産の譲渡による所得は事業所得ではなく、譲渡所得である。

即ち、第一表の不動産は、先祖伝来の酒造用地が収用されたため、酒造業用地の代替地として取得したものであるところ、酒造業の廃業により酒造用地が不要となったため、昭和三九年になって、日本専売公社、山西マサエに売却したもので、右売却による所得は、譲渡所得である。

ところが、被告は、右代替地は酒造用地として購入されたものではなく、「営利を目的とする継続的行為」即ち「転売目的」をもって取得されたものである旨主張する。

(一) 原告の右代替地の取得は、「営利を目的とする継続的行為」には該当しないこと

土地の譲渡により、所得が生じたとき、その譲渡が旧所得税法第九条一項八号にいう「営利を目的とする継続的行為」に該当するか否かの判断については、被告の指摘する横浜地裁五〇・五・六判決のとおりであるが、原告が右土地を取得した当時、原告は、不動産業を意図して土地を取得したこともなければ当然のことながら不動産業を営んでいたこともなく、また不動産の取得が「営利を目的」としてなされたといいうるためには、その土地が「販売」「転売」目的で取得されたか否かにかかっているところ、原告が右土地を転売目的で取得したことはない。

また被告主張のように、昭和三五年一〇月ころ、原告が酒造業の廃止を予定し、不動産業を意図していたこともない。

イ、原告が経営していた酒造業は、父祖伝来のものであって、同人が取締役をしていた有限会社葛城酒造場は、原告個人所有地で居宅であった大分市大字上戸次四、六九六番地を酒造用地として使用し、右土地が建設省起業大野川改修工事のため、昭和三六年三月三〇日および同五月二九日付をもって、国に買収された。

原告が建設省九州建設局大分工事事務所から右河川改修工事のため右土地の買収、居宅、店舗、酒造場の移転の交渉を受けたのは、昭和三六年一月であり、当時清酒の仕込時期と重複し、原告としては甚だ困惑したが、建設省の方針に協力することとし、直ちに酒造用地の代替地の取得に奔走したのであって、当時酒造業を廃業する意思はなく、ましてや昭和三五年一〇月に被告主張のように、酒造業を廃止する意思は全くなかったのである。

原告は、次のとおり酒造場の代替地の取得に着手した。

(1) 昭和三六年一月一七日吉元又六から別府市大字南石垣字大塚一、二六五番一 田二七〇・五〇坪を買受け

(2) 同年二月一日西村重則から別府市大字南石垣字浜田九五一 田二〇〇・六坪ほか三筆を買受け

(3) 同年三月三日売買の交渉を行なっていた九州商事から別府市大字南石垣字長田一、二五〇番一 雑種地五四・五二坪を買受けて、三月三日ないし五日に右(1)(2)(3)の土地につき突き井戸式による水質検査を行なったが、酒造用水として良質とまでの結果は得られなかった。

さらに

(4) 同年三月二六日売買の交渉を行なっていた岡本肇から別府市大字南石垣字浜田九五〇番一田ほか一筆(合計一四五・八四坪)を買受け

(5) 同年四月四日売買交渉を行なっていた右田勝喜から別府市大字北石垣字町田一、一五七番地田ほか二筆(合計三三一坪)を酒造用米作付の予定で買受けた。

前記(1)(2)(3)の土地の水質検査で良好な結果がでなかったので、同年三月

(6) 大分市大字大分字西尾三、四八七番 畑二七六坪

(7) 大分市大字大分字古池尻三、八六〇番一 宅地六六坪を買受け、水質検査を行ない、良質との結果を得たが、同年四月上旬、前記(1)(2)(3)の土地について、場所をかえて採水し、水質検査を行なったが、同土地については良好な結果はできなかった。

このように、前記別府市所在の土地は良質の酒造用水が得られず、前記大分市所在の(6)(7)の土地に移転しようとしたが、同土地だけでは敷地として狭すぎ、その隣接地が法務省の所有で買収が不可能となったことや、従前地の工場家屋を移築するため解体工事をはじめたところ、建物が古く、移築よりも新築するのが有利であるが、新築期間は約一年を要することもあって、その間は休業せざるを得ない状態となった。

同三六年五月上旬になって、都酒造株式会社の掛田渉外部長の休業するより他の会社と合併したほうが得策であるとの指摘により同人の紹介で都酒造株式会社との間で合併契約を締結し、同年八月末同会社に吸収合併され、廃業のやむなきに至ったもので、被告主張のように昭和三五年一〇月から酒造業の経営が不振でその廃業を意図していたことは絶対にない。

原告が、大野川改修工事のため土地収用法により前記酒造用地等が買収され、その補償金として一七、四六二、六六七円を得たが、その代替資産として取得したのは、被告主張の土地建物だけではなく、別表第二表記載の土地をも代替資産として取得したものである。

ロ、被告は、原告が「昭和三五年一〇月ころから連年反覆して不動産売買を行なっている」旨主張しているが、原告の土地の取得は、昭和三五年以前にも大量の土地の取得を行なっているのであり、昭和三五年一〇月ころから土地の取得をはじめたものではない。

昭和三五年一〇月牧弥六から大分市大字小池原字向原一、八三七の一五ほか六筆を取得するわずか二年前にも一一件二八、五九六平方メートルの山林を取得し、昭和二八年二月にも一〇件四六、四一〇平方メートルに及ぶ山林を取得している。

被告が、このような原告の土地取得状況に目をつむって、「昭和三五年一〇月」ころから土地の取得がはじまったと主張するのは、原告が昭和四一年になって、右牧弥六の土地を大分県開発公社に譲渡した際、その所得について被告が右土地を原告の不動産業のたな卸資産であるとして、その所得を事業所得として課税したためにほかならず、被告は、昭和三五年以前の土地の取得状況を調査したこともないのであって、原告が昭和三五年から不動産業者であるとするため、ことさら、被告の主張と矛盾する昭和三五年以前の土地取得についてはふれたくなかったとしかいいようがないのである。

このような被告の課税態度は、前記横浜地裁判決の「けだし人の経済活動(土地の譲渡等)の意味内容を把握するについては、その一部を抽出してこれを評価することは妥当でなく総合的に全体を観察して判断すべきものだからである」とする趣旨にも反するものであって、被告は、自己に都合の悪い昭和三五年一〇月以前の土地取得に目をつぶって、昭和三五年以降の土地の取得をとりあげているのにすぎない。

原告は、酒造業とともに山林業をも父から引継ぎ営んできた。戦争のため山林経営が中断されたこともあったが、昭和二四年ころから本格化し、山林経営のための土地取得を行なってきたし、被告主張のとおり昭和四〇年分には二、四六九、七三七円、昭和四一年分に二、九〇二、四五九円の山林所得があり、昭和四二年分は二〇五万円、昭和四三年分は二三〇万円の山林所得が発生しこの山林所得は専業の山林業よりも大きいのである。

原告が、昭和三五年一〇月ころ、牧弥六等一一名から取得した大字小池原字向原所在の土地七筆のほか同向原所在の土地および大字猪野字黒野地所在の土地は、いずれも原告の山林経営の目的で取得したもので、転売目的で取得したものではない。

即ち、原告は、右向原および黒野地の山林の取得は、これは三五年に限らず、私の方は山林業は私より四代前の佐吉の代からずっと続けてやっておりまして三四年か三三年ごろでしたが明野の土地を買うという計画を変更して大分市河原内の土地を取得したので最初の計画が遅れて明野の方が逆に遅れたような形になりました。

明野を買う計画は三三年ごろ一応たてていた

のであり(原告本人第二〇回五損)、その取得の目的は、従来地には松に適した山がなかったので、松の植栽のために取得したものである。

被告は、原告の右土地の取得時期、方法が異常だったというが、昭和三五年一〇月に大分県に土地開発公社が設立され、同公社が右土地付近の買収をすることも知らなかったし、大分県議会の議員全員格議会で 議されたことも、全員協議会が、秘密会を原則としているので知る由もなかった。

また、右土地の取得にあたって伸介した九井九十九に被告主張のような一ケ月以内に買付ける等の指示をしたこともなく、また右土地の取得代金も反当り一〇万円相当での値段も、土地上の立木を含めての代金であって、市街地に近距離であることなどを考えれば被告の主張するほど高価ではない。

さらに被告は、右土地が山林経営の対象として管理されていないとして原告の山林業を目的として取得したという主張は認められないというが、被告の調査は、本件土地取得の約一〇年後の昭和四五年になされたものであってその頃、国税局等の係員が見分して手入がなされていないと考えても、松が自然繁殖によって成育し、一〇年生以上になると間伐下払等はしないという、松の植裁方法からすれば当然のことなのである。

被告は、昭和三五年一〇月ころ原告の酒造業の経営が不振で酒造業の廃止を予定していたとし、そのため不動産業を意図して右向原および黒野地の土地を取得したと主張する。

しかし、酒造業の廃止即不動産業の企図と結びつけることに主張の飛躍がありすぎる。

原告の酒造業は、被告が指摘するように委託醸造を行なってきたことは事実であるが、昭和三五年一〇月ころ、経営不振のため廃業を意図したことはない。

原告は、昭和三二年ころから、委託醸造を行なってきたが、昭和三五酒造年度(昭和三五年一〇月一日以降)以前の昭和三四酒造年度(昭和三三年一〇月から同三四年九月)までに経営が不振で、廃業しなければならなかったこともなく三四酒造年度では、総売上が一、三六五万円、純利益が一七万一、八八四円であり総売上に対する委託醸造の委託料収入一六五万円の割合は約一二パーセントであって、確定申告で利益計上をしているのである(「被告の主張」添付資料二)。また昭和三三年九月の決算においても一、三八一、八八〇円の純利益を計上している。

そして、被告の資料によっても葛城酒造場の委託料収入は

三三年九月期 二一〇万円

三四年九月期 二三〇万円

三五年九月期 一六五万円

となって、かえって、委託料収入は減少傾向さえみせていて(右資料二)、委託醸造か経営悪化の象徴であるとする被告の論法からすると、委託料収入の減少傾向は経営の安定化を示すものとすることができる。

昭和三五酒造年度(昭和三五年一〇月以降)において、原告主張の未納税収入および委託料収入が増加したのは、昭和三六年一月になって酒造用地が建設省によって収用されることとなったため、収用期限に在庫処分をするために大量に桶売りにし、委託醸造に出したもので、この三五酒造年度に該数量が増加したという特殊事情によるものなのである。

また葛城酒造場は、当時大分県内では、清酒業者九四のうち二七位、しょうちゅう業者一〇四のうち三九位の企業規模であって、大分県内では中堅企業であり、もし被告主張のように葛城酒造場が三五年一〇月に委託醸造か不可能となることを見こして、廃業を余儀なくされたということであれば、大分県内の半数以上の酒造業者は廃業倒産せざるを得なかったはずであるかそのような事態は発生していない。

被告が推定事実を勝手に積み重ねて、昭和三五年一〇月ころから、酒造業を廃止して不動産業を意図していたとするのは、被告が税務調査当時、すでに不動産業を営んでいた原告の不動産の醸渡収入は事業所得として課税しなければならないという不当な意図が前提となって、そのために昭和三五年一〇月に取得した前記向原および黒野地の各土地をたな卸資産だと主張するためにほかならないというべきである。

そして、当然のことながら、原告が昭和三五年に酒造業を廃止する意図があったと認定するに足りる直接証拠はない。

かえって、原告が昭和三五年一〇月、委託醸造の許可を得るために被告に提出した乙第九二号証の一、二、乙第九五号証、乙第九四号証の一、二に

工場移転のため

と記載され、また乙第七〇号証にも「昭和三六年九月末までに製造場を移転」する旨記載されており、原告が三五年一〇月当時工場を移転しても酒造業を継続しょうとしていたことが明白である。

また、先に指摘したとおり、原告の酒造業は、昭和三一年ころから昭和三五年一〇月まで、その経営内容にさしたる変化はないのであって(かえって好転している)、とくに昭和三三年に原告が取得した河原内の山林と前記黒野地などの土地とをその取得した河原内の山林と前記黒野地などの土地とをその取得目的で区別すべきいわれない。

ハ、原告の土地の取得は、昭和三五年一〇月以前にも行われているが、被告主張の昭和三五年以降を検討してみても、乙第一〇六号証の一ないし四によると

昭和三五年 一二件

昭和三六年 九件

昭和三七年 二件

にすぎない。そして、この三年間に土地を売却したのは、昭和三七年の一件であって、昭和三五年、三六年には売渡しは発生していないのみならず、被告主張のように昭和三五年一〇月から昭和三九年までに不動産売買によってばく大な利益をあげたことはない。

しかも、昭和三五年取得の前記向原および黒野地の山林、原野は前記のとおり山林経営のための取得であり、昭和三六年の別府市石垣所在の土地は酒造用の移転先として取得し、さらに横江征一から取得した墓地は横江征一が本件土地を墓地に造成する資金がなかったため、その資金の代物弁済として取得したものでいずれも転売目的で取得したのではない。

また昭和三七年に取得した大分市勢家の土地は、実弟の葛城浩三が大分市から払下げを受けた土地で同人が手付金を支払っただけで手付流れになるために原告が取得したもので、現在に至るまで原得が所有し、大分マツダ自動車に駐車場として貸しており、これも取得からすでに一六年以上も経過している。

さらに、乙第一〇六号証の四の八一、八二番の二筆の土地は、昭和三七年当時、原告がマーケットを経営する計画をたて、当時の大分甘味の代表者草本利恒からマーケット設立のための土地として取得したが、マーケット経営が支配人の病気で不可能となったため他に売却したものである。

このように、昭和三三年から昭和三七年までの土地売買状況をみても、売却は、右大分甘味の土地一件だけであり、この間の土地取得状況からしても、不動産業とはいえないというべきである。

原告は、昭和三六年に取得した土地のうち、乙第一〇六号証の二の三六番の土地については、昭和三九年分所得申告の際、たな卸資産として申告し、さらに乙第一〇六号証の二、三の三八番ないし七八番までの墓地のうち昭和三八年中に譲渡した番号三八番四七番五四番六〇番六一番は、昭和三八年分所得申告の際に固定資産の譲渡であるとして譲渡所得の申告をし、他の墓地は、昭和三九年以降の譲渡であるので、たな卸資産として各年分の申告をしている。

これは、昭和三八年分の所得申告の際に、被告から昭和四〇年二月になって、三九年以降は営業として認定する旨の通知を受けたので、昭和三九年分の申告の際とくに代替資産として取得した土地でない前記の土地については、たな卸として申告したのであって、この故をもって代替地として取得した別表二の土地がたな卸資産となるものではない。

ニ、被告は、昭和三五年に転売目的をもって、乙第一〇六号証の一の土地を取得した旨主張するが、牧弥六から取得した土地は、六年後の昭和四一年に大分県開発公社に買収された。

これは、新住宅市街地開発法により同公社が取得したもので、原告が任意売却を拒めば強制収用される関係にあって、通常の不動産売買と全く形態が異る。

また昭和三五年一〇月の黒野地の土地は、昭和五〇年一二月原告が代表取締役をしている葛城産業に譲渡するまでの一五年間にわたって所有していたもので、転売目的で取得したというのであれば、それ以前に転売していたはずである。

ホ、また原告が、地価の上昇を見込んで不動産を取得したとしても、その故をもって取得したということはでさない。

資産蓄積の方法として、預貯金などとともに地価上昇を見込んだ不動産の取得は、きわめて一般的に行われているのであって、この不動産が資本的資産であることにかわりなく、地価上昇を見込んだ土地の取得=転売目的=たな卸資産ということにならない。

不動産業者が所有している不動産でさえ、価値の上昇を見込んで取得しても、販売目的以外の目的で取得し、長期間所有していれば、その不動産を譲渡した場合の所得は譲渡所得となり事業所得とはならない。

国税局直税部資産税課監修「不動産税務要覧」新日本法規出版三九頁には、

不動産の取引を営業とする者の有する不動産の譲渡による所得のすべてが譲渡所得に該当しないとはいえないであろう。

たとえば、不動産業者などの所有している不動産であっても、その事業の事務所など固定資産として使用している不動産、自己が居住の用に供している住宅または具体的な使用計画に基づいて固定資産として使用することを予定して取得した不動産ならびに販売目的以外の目的で取得し、きわめて長期間引き続き所有していた不動産を他に譲渡した場合の所得は譲渡所得になろう。

と解説している。

(二) 別表第一表の土地は、酒造用地の代替資産であって、原告は、昭和三七年三月一五日乙第一号証を提出し、その代替資産は別表第二表のとおりであること。

一、原告は、右見積申請をするにあたって、代替資産として別表第二表の不動産を取得する旨の申出をした。

見積申請書を提出したのは、別表二の代替資産である居宅新築が昭和三七年二月一〇日であって、昭和三六年分所得の期限である昭和三六年一二月末日までに右新築家屋の取得ができなかったため、別表第一表の土地もあえて措置法第三一条一項の課税延期の特例を選ばず、右新築家屋とともに同条二項の代替資産の見積額等の承認申請書の見積額二、九〇〇万円に含めて申請したものである。

そして、被告は、代替資産として

顕徳町三丁目の土地

旅館建築(楓館)

を原告が代替資産として申請したと主張する。

しかし、原告が代替資産として申請したのは、別表第二表の土地建物だけであって、右土地および旅館については、代替資産である旨主張したこともなければ申請したこともない。

楓館は、加藤ハツ所有土地上に大分市上戸次の建物を移築したもので、その所有者は、加藤ハツであって原告ではないから、原告が代替資産である等と申請するはずがない。

また、顕徳町三丁目の土地について、原告が代替資産であると申請した証拠は全くなく、乙第六号証の二は、再評価決議書付表であるが、それによっても右土地が代替資産であるとする記載はなにもない。

もし顕徳町三丁目の土地および楓館の取得が代替資産であれば、乙第六号証の二の決議書付表の「取得価格欄」にその旨記載されるはずである。

二、原告が、昭和三九年に建設省、衛藤直、高橋忠一に譲渡した別表三表の土地は、昭和三九年栗木セイから購入した別表第三表の丙農地の土地が代替資産および買換資産となっているので、右譲渡については譲渡所得として課税されない。

(一) 被告は、原告が昭和三九年七月五日に訴外栗木セイから購入した大分県大字小池原字向原一、八三七番の二九ほか四筆の土地は、原告の不動産業のたな卸資産である旨主張する。

しかし右土地は、収用による代替資産、事業用資産の買替として取得したものであって、たな卸資産ではない。

即ち、原告は、昭和三九年二月二九日、同一〇月二二日建設省起業国道一〇号線工事のため、前記山林事業の種苗地であった。

大分市大字上戸次字脇ノ津留四、六九九番の一畑など三筆

(別表第三表記載の甲農地)

を収用され、その対価補償金九九三、四八〇円の収入を得たほか、種苗栽培地であった

大分市大字上戸次字山崎四、七五四番畑など六筆

(別表第三表乙農地)

を種苗地として管理が困難となり、他の農地に買替えるため、同別表記載のとおり衛藤直および高橋忠一に売却した。

右収用による代替地および山林業の事業用資産の買替として、前記栗木セイの土地(別表第三表丙農地)を購入したものである。

(二) ところで、被告は、原告の昭和三九年分所得税の是正を行った際に前記収用の対価補償金については、同収入を譲渡所得として課税していない。のみならず、同更正に対する異議申立について、被告はこれを棄却する決定をしたが、その決定の理由中に、

「衛藤直、高橋忠一および建設省へ譲渡した物件については譲渡所得となりますが、その収入金額は一、六六三、四八〇円でその内買換資産が九九三、四八〇円あるため差引収入金額は六七万円となります」と明記されている。

「その内買換資産が九九三、四八〇円ある」というその金額は、建設省収用の対価補償金九九三、四八〇円にほかならず、右補償金については、買替資産を原告が取得したことを理由として、被告においても措置法第三一条一項を適用し、譲渡収入の収入としなかったのである。そして、被告が「買替資産がある」とする買替資産は、栗木セイから購入した前記小池原字向原一、八三七番二九ほか四筆の土地だけである。

被告が、昭和三九年分所得税の更正および異議申立に対する決定の際、栗木セイから取得した右五筆の土地を本件訴訟で被告が主張するようにたな卸資産であると認定していたのなら当然右収用対価補償金についても譲渡所得として課税していたはずであり、被告が課税しなかったのは、右五筆の土地が原告の祖先伝来の前記甲農地の収用にともなう代替資産として取得されたもので、たな卸資産ではないと認定していたからにほかならない。

しかも昭和三九年分所得税についての熊本国税局長の裁決でも、右収用対価補償金については、譲渡所得として課税されておらず、前記向原の五筆の土地が原告の相続財産の収用による代替資産であって、被告主張の如きたな卸資産でないことは税務上確認したはずなのである。

被告は、昭和三九年分の所得税の更正の際に、右向原五筆の土地が代替資産であってたな卸資産でないことを確定しておきながら、昭和四一年分の所得税の更正では、右土地をたな卸資産であるとし、同土地の売却代金を事業収入の売上に計上するのは、納税者に「歴年にわたり一貫した計算方法」を要求する被告としては、まさに自己矛盾の態度というべきである。

更正の法的性格は、判断の表示として既存の法律事実または法律関係の存否を公の権威をもって確定し宣言する行為であるとされているが、被告が昭和三九年分の所得税の確定にあたり代替資産でないと認定した土地を昭和四一年分の所得税の更正の際には、たな卸資産であると認定し、同土地の譲渡収入を事業所得として課税することは、禁反言の法理および信義則に反し許されない。

税務署長等は、更正をした課税標準等または税額等が過大または過少であることを知ったときは、その調査により当該更正の課税標準等を再更正をすることになっているが、被告が昭和四一年年分所得税について前記五筆の土地がたな卸資産だと認定をして更正するためには、昭和三九年分の所得税の更正で右土地が代替資産であり、たな卸資産でないことが税務上確定してきたのであるから、建設省収用土地の対価補償金九九三、四八〇円を譲渡所得として計算し、すなわち、右五筆の土地が代替資産ではないとして課税標準および税額の再更正をしなければならず、再更正をしないで昭和四一年分の更正を行なうことは許されない。本件では昭和三九年分の所得税の更正の再更正はなされていない。

(三) しかも、被告は、前記建設省の収用対価補償金は、代替資産を取得したことを理由に譲渡収入として課税対象にならないことを自認していたのである(第一ないし第七準備書面)。

しかるに被告は、第一〇回準備書面において突如として、右向原五筆の土地が代替資産ではないとし右補償金も譲渡所得となる旨主張を変更したが、同土地が代替資産であることを前提とする被告の自認が昭和四一年分所得についての別件課税処分取消訴訟((行ウ)第五号事件)における右向原五筆の土地がたな卸資産である旨の主張を維持するための重大な障害となるために、その自認を変更したものであることが明らかである。

被告は、原告が栗木セイから取得した右向原五筆の土地がたな卸資産であるとして、右代替資産であるとしたのは、原告が虚偽の申立をしたからであるとするが、被告は、昭和三九年分所得税の更正をする際の昭和四〇年八月一〇日係官を右土地に赴かせ、現地調査までさせたうえで、同土地を建設省の収用にともなう代替資産の取得である旨認定したはずなのである。しかも、昭和四一年分所得について調査をし、右栗木の土地をたな卸資産であると認定した岩元証言によれば、右小田部の調査時とその資料は全く同じであったというのであるから、調査官の恣意によって、どのようにでも認定されるというのであろうか。

そして、昭和四一年分の所得税の更正の際にも、代替資産についての法解釈の変更がなされたわけでも、右土地を整理したとかの事実もない本件にあっては、右代替資産性が失われるわけもないのであって、原告が右土地がたな卸資産でないと主張するのは当然であり、事実関係をわい曲したり、一方的見解を主張しているのではない。

(四) 原告が栗木セイから取得した向原五筆の土地は、山林経営のため杉、檜の種苗地として、建設省起業国道一〇号線工事の収用による代替資産または事業用資産の買替として取得したものである。

右土地は、栗木セイが植木栽培地として使用し、原告が取得した際にも植木が植えられており、同女はその植木を搬出販売することになり、植木を除却する期限を昭和四〇年三月末日までとの特約をしたのも、右期限までに除却しないときは、原告において植木を取得しうることを明記したにすぎず、大分県の買収を見込んで取得したとすることはできない。

苗圃の利用は、晩秋に苗木を仮植し、翌年四月ころの新芽が芽吹くころ山林に植するまでの間だけであって、その以外の間空地となるのである。

被告は、原告が右土地を購入したのが昭和三九年七月五日で大分県が買収したのは昭和四一年三月三一日であるから育苗圃として短期間の利用期間しかないというが、収用される可能性のある新住宅市街地開発法による買収に応じないわけにはいかなかったのは結果的にそのようになったにすぎない。

また、被告は、原告が牧弥六から取得した土地および栗木セイから取得した土地は、大分県開発公社が昭和三六年二月一八日買収した土地の近隣地であり、右栗木セイの土地は、原告が昭和三九年七月五日に取得する以前から大分県が買収を予定していたと主張するが、原告が取得した当時、大分県が買収予定の土地として右土地を計画していたか原告は知らなかったし、栗木と大分県開発公社との間で買収の価額で折合がつかなかったことも知らない。

そして原告が栗木に対し公社の買入申出価格より高い価格を示したこともない。

原告が本件訴訟になって調査したところ、大分県開発公社が昭和三六年に買収した右土地付近の買収価格は反当り六八万円であって、原告が昭和三九年に栗木から購入したときよりも高額であった。

(五) 栗木セイから取得した土地が、被告によって建設省の収用による代替資産であると認定されてきたことは、前記のとおりであるが、取得したとき先祖伝来の土地に代る資産とされたものが、売却するとき、特段の事情がないかぎりたな卸資産になるわけがない。

先祖伝来の土地を譲渡した、その所得が事業所得、雑所得になりうる場合は、その土地に造成工事を行なって土地に区画形質の変更を加えて宅地として売り出したというような特段の事情があるときであって、栗木セイの土地については、取得してから買収されるまでの間、原告がこのような工事をしたこともない。

(六) 被告は、措置法第三一条および第三八条の六の適用について、手続的要件を欠き、原告の主張は失当である旨主張するところ、昭和三九年分確定申告書に所定の記載をしていないことは明らかである。

しかし、原告は、本件の第二二回準備手続調書に所謂別紙(原告代理人の申立および主張の要約)に添付してある表即ち「昭和一四年相続により取得した農地を他に売却一年以内に買換えしたもの」と同一の表を確定申告書に添付して被告に提出したのである。そして、原告は右提出に先だって、確定申告書および添付書類の写しをとって控えとしていたので更に之が写しをとって、第二二回準備手続において準備手続裁判官に提出したのである。被告が確定申告書および添付書類を乙第三〇号証の一ないし三として提出するに際して、特に添付書類中前記表のみを省略して、宛も原告が改正前の租税特別措置法三八条の六所定の要件の要件を欠くかのごとき主張なすは、甚だしく信義に反する。

仮に確定申告書上に所定の記載がなかった点で手続的瑕疵があったとしても、被告は、瑕疵のある確定申告であるにもかかわらず、栗木セイの土地は買換資産である旨を本件第九回準備書面まで認めてきたところであり、もし被告主張のように手続的瑕疵のため買換資産の認定ができないというのなら、何故第九回準備書面まで買換資産であると認めてきたのであろうか。

これも、原告が法律の適用について、嘘を言ったために被告が間違えたというのであろうか。

右の如き記載が、確定申告書になくても、救済されることを物語っているのであって、措置法第三一条五項但書、および同三八条の六項四項によって救済規定がなされている。

第三、湯布院町大字川北字米山の土地について

右土地の売買には、原告は関知しない。原告は右土地の所在さえ知らないのである。地主である高田幸吉の質問てん末書によれば、右売買の契約は、「私と高田武の二人で、相手方は明治開発の玉井所長と藤本課長の二人が契約に立会いました」旨説明し、右高田武も「相手方は明治開発の玉井所長と藤本さんという人で明治開発別府の課長でした」旨供述しいずれも売買交渉および契約の相手方が、明治開発であったことが明らかである。

被告の主張は、湯布院町のユム田の土地を原告が取得したさい、「荒尾政英」の氏名が使われていたので、右米山の土地についても原告が契約者であるとするのであるが、右ユム田の土地についても、原告が「荒尾政英」の氏名を名乗ったこともないのであって、原告が右米山の土地の地主との契約者であるとの証拠はない。

しかも、右米山の土地の土地代金が原告からどのようにして支払われたのかも明らかにしていないことは、原告が右売買の当事者でないことを如実に物語っている。

もし、原告が被告の主張するように、本件米山の土地を購入していれば、土地代金六六〇万円を捻出し、ユム田の土地と同様振込などの支払をしていたはずであるが、原告が当事者でないのであるから、右の如き事実もあり得ないものというべきである。

第四、事業所得の内容について

事業所得収入及び取得価格については、別表「事業所得収入及取得価格対照表」記載のとおりであり、その内訳は「事業所得主張金額及び証拠との関連」(その1)ないし(その6)記載のとおりである。

第五、譲渡所得の内容について

譲渡所得の内容は、「譲渡所得主張金額及証拠との関連」(その1)ないし(その6)記載のとおりである。

第一表

<省略>

第二表(酒造場、酒造業用地、居宅用地の代替地)

<省略>

(註)以上の外に昭和三七年三月大分市大字大分字西尾三四八七番に居宅建設。

(新町名、大分市長浜町三丁目三四三七番地)

(註)収用された酒造業用地、居宅用地

大分市大字上戸次四六九六番地 宅地七三六七八坪

収用された酒造場、居宅店舗等、同上宅地に建設せられていた。

第三表

甲農地(建設省起業国道建設工事の為収用された種苗栽培地)

<省略>

乙農地(酒造業用地、居住用地を収用されて還去した為管理が著しく困難となったので売却した種苗地)

<省略>

丙農地(甲農地の収用による補償金および乙農地の売却代金を資金として買受けた種苗栽培地)

<省略>

事業所得収入及び取得価格対照表

事業所得

<省略>

事業所得主張金額及び証拠との関連(その一)

(1)収入

<省略>

事業所得主張金額及び証拠との関連(その二)

(2)取得価格

<省略>

註一、事業所得対照表のうち、被告主張らんの

一三、別府市南石垣 五四・五二坪

一四、同 一四五・八四坪

一五、同 二〇〇・〇六坪

一六、別府市北石垣 三三八坪}の取得価格は譲渡所得収支計算書に計上して主張する。

註二、一七、湯布院町原野九丁一反八セの取得価格は原告は本件取引には一切関係ないものであるから必要経費たることを主張しない。

事業所得主張金額及び証拠との関連(その三)

取得経費

<省略>

註一、事業所得対照表のうち

取得経費 被告主張 一三、別府市南石垣 五四・五二坪 三〇、一九〇円

〃 一四、 〃 一四五・八四坪 一六八・六四〇

〃 一五、 〃 二〇〇・〇六坪 六七、七四六

(原告は六二四、九一四と主張する)

〃 一六、別府市北石垣 三三八坪 二三二、七五〇

については譲渡所得の項において主張する。

註二、取得経費 被告主張 一七、湯市院町原野九丁一反八セの取得経費一九八、〇〇〇円は原告は本取引には一切関係ないものであるから取得経費たることを主張しない。

事業所得主張金額及び証拠との関連(その四)

取得のための負債利子

<省略>

註一、本表引用の取得のための手付金・中間金・残金の支払年月日は甲第三四号証の表による。

註二、本表の計算に用いた利率は次第添付の甲第一三号証の利率表により二・八銭を引用した。

註三、負債利子の( )は原告第七回準備書面主張金額。

取得価格と加算すべき負債利子の利率表

<省略>

取得後三八年一二月三一日までの利息を原価に加算したことについて原告の主張

(1) 四〇年二月に三九年以降不動産営業として認定するとの通知により三八年末以前の不動産取得に関する利息支払は認容される機会を失しているので三九年分の計算で認容されるべきである。

(五二年二月二四日本人調書二〇七問以下二一七問)

(2) たな卸資産の取得価格に負債利子を加算するかどうかについては、所得税法施行規則第一二条の一二には明確な規定がなく、昭和三五・直所一 一一-八三(行政通達)では原則として取得価格に算入しないことに取扱うこと。とされているので、本件のごとく過年度において認容の機会を失している負債利子は、当然売却に際し認容されるべきである。

事業所得主張金額及び証拠との関連(その五)

譲渡経費

註一、譲渡経費( )は原告第七回準備書面記載のうち、本準備書面で主張金額を変更したもの。

<省略>

事業所得主張金額及び証拠との関連(その六)

昭和四二年一一月三〇日附証拠説明書甲第一号証にのべるとおり四〇年二月二四日附三八年分更正通知により三九年分所得税は事業所得と認定されることを知ったが三九年分一般管理費の証拠を保全していなかったため、当時作成中であった四〇年分の一般管理費中接待交際費より出張旅費の科目の金額の一〇/八を三九年分経費として推計したのであり原告の推計はやむを得ないところである。

必要経費(一般管理費)

<省略>

譲渡所得主張金額及び証拠との関連(その一)

収入金額

註一、番号は原告第七回準備書面第一表の番号。

<省略>

譲渡所得主張金額及び証拠との関連(その二)

取得価額

<省略>

譲渡所得主張金額及び証拠との関連(その三)

取得経費

<省略>

譲渡所得主張金額及び証拠との関連(その四)

譲渡経費

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自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
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